この聖殿への巡礼は、そこに旅する余裕のあるかぎり、人々にとって神への義務である。
『コーラン』世界の名著17 伴康哉訳 中央公論社 103頁(3:97)
巡礼は、神への義務なのですね。
イスラムの信仰をする上で、「余裕のあるかぎり」との留保はあるものの、サウジアラビアのメッカに行かなければならないようです。
所謂、聖地巡礼が必要ということですね。
では、日蓮仏法においてはどうか。
創価学会が日蓮正宗の信徒団体であったころは、静岡県にある総本山の大石寺への登山というものがありました。
その後、創価学会は日蓮正宗から団体ごと破門されましたので、総本山に行くことはなくなりました。
所謂、聖地巡礼ができなくなったのですね。
では、問題があるかというと、そうでもないようです。
法華経修行の者の所住の処を浄土と思う可し何ぞ煩しく他処を求めんや
守護国家論 72頁
そもそも日蓮仏法においては、これといった聖地がないのですね。
今いる場所が大切であり、そこが聖地と言っているわけです。ほかの所を求めるのは煩わしいこととさえ言っています。
確かに、日蓮の生涯を見ても、特定の土地に聖地を設定した形跡はありません。三大秘法禀承事において、
霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か
三大秘法禀承事 1022頁
とは言っていますが、特定の土地への言及はありません。
その代わり、日蓮は、伊豆、佐渡に流罪になっており、過酷な土地との縁があるようです。日蓮にとっては、どこであっても聖地ですから、困ることはなかったのでしょう。
特に佐渡での日々は苦しかったことと思われます。しかし、その佐渡において「開目抄」、「観心本尊抄」等々の重要な書を認めており、「法華経修行の者の所住の処を浄土と思う可し」を実践していたのですね。
晩年、身延に移りますが、ここも決して聖地といえるほどの土地ではありません。波木井実長が自らの領地に迎えたのであって、取り立てていい場所ということはありません。
日蓮にとって、聖地といえるほどの土地には縁がなかったといえますが、日蓮のいるところが聖地であったということでしょう。
我々も同様で、我々のいる場所が聖地なのですね。日蓮仏法の特色は、この点にあるといってよいでしょう。