大妄語を集めて仏と・がうすとも但無間大城なり
報恩抄 311頁
嘘を100回言えば、本当になるとよく言われます。
確かに、愚人に対しては効果覿面でしょうが、賢人に対して効果はないでしょうね。
賢人からすれば、嘘はどこまで行っても嘘ですから、ごまかせないのですね。
それと同じように、大妄語をいくら集めても、大妄語であり、所詮、地獄界の境涯を出ることはありません。
この大妄語を集めて、仏であるぞ、と豪語しても、当然のことながら、仏にはなりません。
先程言ったように、愚人に対しては、ごまかしがきくでしょうが、賢人はごまかされません。
新宗教教団を観察しますと、ここでいう大妄語だらけであったりします。
いい加減なこと、間違ったこと、価値のないこと、意味不明なこと、本人もよく分かっていないこと、他者に害悪をもたらすこと等々、大妄語のてんこ盛りです。
その割には、「仏法です」と言うのですね。どう考えても、大妄語だらけですから「地獄法です」でしょう。
教団はごまかせると思っているのでしょう。実際、ごまかせているという現状があるので、調子に乗っているのでしょうね。
しかし、みんながみんな愚人ではなく、賢人たちは、その教団に愛想を尽かし、相手にしなくなります。
教団としては、こういっては何ですが、愚人が一定数いれば、教団運営ができ、教団の組織維持が図れるので、それでいいのですね。
日蓮の指摘は、当たり前のことを当たり前に言っているだけなのですが、愚人にはこの当たり前が通用しないのですね。洗脳とは、恐ろしいものです。