カルトに入るのはどのような特徴を持った人かとよく聞かれるのですが、純粋な心と善意にあふれた人たちです。そんなバカな。そういう人たちが悪事を働くわけがないではないか。そう思われる方が多いと思いますが、カルトには悪人はいません。なぜなら、カルトは組織のメンバーに悪人を必要としないからです。純粋さ、ひたむきさを持つ善意の人を選んで勧誘し、利用するのです。カルトのターゲットになった人たちだけがカルトに入るので、カルトが必要としない人はカルトにはいないのです。
櫻井義秀「レジアリンス――回復する力」櫻井義秀編著『カルトからの回復』北海道大学出版会 4−5頁
ここでいう「悪人」は、自分は悪いことをしていると認識して、悪いことをしている人間、つまり「小悪人」のことでしょうね。所謂、犯罪者の部類に入る人間のことですね。また、単に素行が悪い人間も「小悪人」といえ、ここでいう「悪人」に該当するでしょう。
カルト教団としては、このような人間は使いにくく、利用価値もないということなのでしょうね。
確かに、ある新宗教教団において、逮捕歴のある人もいましたが、その人は、教団から重用されることもなく、相手にもされていなかったですね。教団としては、献金、寄付だけもらっとけばよいと考えていたのでしょう。下手に動かれて、組織を引っ掻き回されても困るということなのでしょう。
やはり、教団としては、素行が悪くなく、犯罪者でもない人が利用しやすいですね。
その人に「純粋」や「善意」というものがあれば、なおさら、脅しがききやすくなり、便利というものです。
では、このような「純粋」で「善意」のある人がここでいう「悪人」ではないにしても、本当に悪人でないかといえば、そうとも思えません。
「小悪人」ではないけれども、自分は悪いことをしていると認識せずに、悪いことをしている人間、つまり「中悪人」であったり、自分はいいことをしていると認識して、悪いことをしている人間、つまり「大悪人」であったりするのですね。
「小悪人」ではなく、「中悪人」、「大悪人」であるというわけです。「純粋」、「善意」という仮面はかぶっていますが、実は、「小悪人」以上に悪質なのですね。
だからこそ、単なる犯罪者以上にカルトの害悪は、酷く、たちが悪いのです。
表面だけをみると、確かに「小悪人」ではないので、いい人なのかと思いきや、全くそうではないのですね。
カルト教団は、犯罪という類型に入らないよう注意しながら活動していますので、警察としても立件が困難なのですね。
カルト教団の害悪からすると、暴力団の方が良心的に見えてしまいます。明らかに犯罪という中で活動しているのですから。
我々としては、犯罪であるかどうかという低い基準で人を見るのではなく、犯罪という類型に入らなくとも、人間として行ってはならないことをしている「中悪人」、「大悪人」を見抜き、これらの人たちからの害悪を防御しなければなりません。
暴力団のように、いかつい格好をしていませんので、見分けが困難ですが、注意深く見ていくと分かるものです。
この世の中で、確かに「小悪人」は悪い人間ですが、それ以上に「中悪人」、「大悪人」が悪いということを、しっかりと認識しておくことですね。