僧は一人ある故に婬欲とぼしきところに若し有身ば父ただされ・あらはれぬべきゆへに独ある女人を・をかさず、もしや・かくるると他人の妻をうかがひ・ふかく・かくれんと・をもうなり
顕謗法抄 444頁
仏教は、邪婬を罪のひとつとしてあげています。
僧侶が邪婬をする場合、邪婬の作法があるようです。
独身の女性を相手にせず、人妻を相手にするという作法です。
なぜなのかと思うところですが、理由があるのですね。
独身の女性の場合、もし、身籠った場合、父親は誰だと大騒ぎになり、結局、ばれます。
それが人妻であれば、身籠ったにしても、その夫との子供であろうと推測され、僧侶が不倫したことが隠し通せるというわけですね。
なかなか、考え抜かれた作法ですが、正直なところ、あきれますね。
確かに、隠し通せるかもしれませんが、何をやっているのだというところですね。
当世のほかたうとげなる僧の中にことに此の罪又多くあるらんと・をぼゆ、されば多分は当世たうとげなる僧・此の地獄に堕つべし。
同書 同頁
日蓮の指摘ですから、鎌倉時代のことですが、当時から、僧侶の邪婬が多数あったということでしょう。
邪婬の作法も僧侶の間では常識として語られていたと思われますね。所謂、血脈が連綿と続いてきたのでしょう。
間男には気を付けなければなりませんね。