田中角栄は、秘書になったばかりの早坂茂三に対し、このようなことを言ったという。
新聞記者は、おじきをされるのが商売だ。しかし、世間の人がなんでお前たちにペコペコするか。新聞記者は世の中を知らず、役に立たない知識、理屈を頭一杯に詰めこんで、気ぐらいばかり高い。ぞんざいに扱えば、すぐ逆恨みして悪口を言う。言うだけでなく書く。印刷して、頼みもしないのに日本じゅうに配って歩く。そうされたんじゃかなわないから、世間の人はお前たちに会えば、おじきをする。あ、貧乏神がきた。腹の中で舌を出し、足早に通り過ぎる。わかったか。
早坂茂三『オヤジとわたし』集英社文庫 18−19頁
田中角栄の洞察は鋭いですね。
役に立たない知識、理屈という点は興味深いですね。確かに、役人たちのように実務家ではありませんので、ある意味、言いたい放題でよいのでしょう。
ただ、気ぐらいばかり高いということですから、プライドの塊ということですね。プライドを持っているのは結構なのですが、その割には、すぐ逆恨みするという。実のところ、偽物のプライドということですね。
矜持のある人は、逆恨みなどしません。
そして、逆恨みして悪口をいうらしい。それも、言うだけでなく新聞記者らしく、それを書くという。当然、新聞ですから、印刷して、朝早くに配るというわけです。
確かに、ぞんざいに扱えない存在ですね。それなりの対応をして、お引き取り頂くのが大人のマナーというものでしょう。
また、新聞の話ですが、田中角栄はこのようなことを言っていたようです。
「新聞で信用できるものが三つある。死亡記事に株の値段、それにテレビの案内欄だ。この三つにウソはない」――こんな調子です。それにしてもあの人ほど丹念に新聞を見る人もいない。特に死亡記事は絶対に見落とすことがない。
同書 57−58頁
実際、田中角栄は、新聞を丹念に読んでいた。読んでいたからこそ、半分冗談半分本気ともいえるような上記のようなことを言ったのでしょう。
確かに、新聞は、ひとつの見方を示しますが、それはその新聞社の見方であって、それはそれで結構ですが、ありがたがって読むほどのものではありません。
私自身のことで考えますと、新聞は、読むというより見るという感じですね。実は、自分の住んでいる地域のみですが、死亡記事は必ずチェックしますね。
亡くなる方の年齢を特に注視しています。高齢の方が多く、ある意味、大往生でしょう。高齢化社会になっていることが、死亡記事を毎日確認しますと実感できます。
社会を見るには死亡記事を見ればよいといえるでしょう。
ただ、新聞の株価欄はスルーですね。ネットで確認しますから。これは時代が変わっているからですね。
テレビ欄は、ほとんど確認しないですね。テレビ欄を確認してまでテレビを見ることはなくなりました。
あと、新聞で読むのは、週一の書評欄ですね。それも部分的ですが。
このように考えますと、死亡記事ぐらいしか読んでいないということが分かります。
正直なところ、今の新聞が面白いとは思えないですね。ちょっとした地域情報誌、または、やや規模の大きい回覧版という位置付けといえましょうか。
田中角栄の話に戻りますが、どのような人であったか。この一節を確認してみましょう。
くよくよしても仕方のないことは、くよくよしない。やらなければならないことは、万難を排してもやる。これが田中のオヤジです。
同書 60頁
この一節で田中角栄が見事に表現されています。
世の一般人といわれる人は、これと反対ですね。
くよくよしても仕方のないことで、いつまでもくよくよしています。そして、やらなければならないことは、やらない。
私にも思い当たる節がありますので、このさり気ない一節は、心に響きますね。
簡単そうで簡単でないことですが、田中角栄は、実行した。
我々も、実行すればよいだけです。ただただ、実行ですね。
早坂茂三氏は、23年間、田中角栄の秘書をしてきて、このように述懐しています。
二十三年の間、政治の真ん中で生きてきた私は、政治学者の著作を読んで利口になった覚えはありません。失礼だけど本当です。
同書 214頁
早坂茂三氏にとって、現実政治を生き抜いた田中角栄その人が生きた教材であり、これほど智慧のある人もいなかったでしょうから、政治学者が太刀打ちできないでしょうね。
現実を知っている田中角栄と現実を知り得ない政治学者とでは、そもそも、勝負にならないでしょうね。
政治学者といっても、田中角栄が相手では勝ち目はないわけで、それ故、田中角栄が逮捕されたときには、大喜びで悪口を言っていたのかもしれません。
これは、政治学者だけでなく、新聞記者も同じですね。
後年、田中角栄待望などと言っていますが、同時代を生きている時には、悪口で、当人が死んでから待望論とは、あまりにもふざけ過ぎでしょう。
所詮、新聞記者も政治学者も本物は少ないということでしょうね。
我々としては、田中角栄の行動に学び、本物の人間を目指したいものです。
つまり、「くよくよしても仕方のないことは、くよくよしない。やらなければならないことは、万難を排してもやる」ということです。