金持ち体質の人は、自己肯定感がとても高い傾向があります。自分の目標や欲求がはっきりわかっているので、それに向かってためらうことなく行動できます。そして自分を信じているので、確実に自分に利益をもたらすものを見極め、それにしか投資しません。そんな明確な「自分基準」のスタンスがさらに選択眼を育てるので、自然とお金が手に入るようになるのです。
石原加受子 心理カウンセラー「プレジデント」2015.6.29号 55頁
金持ち体質の人は、自己肯定感が強いという。
自信のない人は、お金持ちになれないでしょうね。
あと、焦点が定まっているというのも重要でしょう。自分の目標や欲求が明確であるというのがそれですね。
そして、行動力があるという点は、見逃せません。また、投資というぐらいですから、身銭を切るというところも重要ですね。
キーワードとして「自分基準」とあります。他人の判断ではなく、自分の判断を基に生きていくということですね。
実際にお金が入ってくるかは、巡り合わせもありますが、少なくとも、上記のような心構えがないと、お金との縁はないでしょう。
世のお金持ちを観察してみますと、上記のとおりですね。パワフルであり焦点が定まっています。
さて、貧乏体質の人の特徴を見てみましょう。
一方、貧乏体質の人は、自己評価の低さと罪悪感の強さが混ざり合っています。自分が楽をすると相手に悪いなあと思ったり、相手が困っているとついその人のために頑張ってしまう。心が他者に縛られて自分の意思がない。だから許可を得ないと何もできないと思っている……。そんな人にお金が入るわけがありません。
同書 同頁
金持ち体質と反対に自己評価が低いという。これでは、もう、勝負に負けていますね。お金も寄ってこないですね。
注目したいのは、「罪悪感」ですね。これは、どういうことかと思っていますと、他者を気にし過ぎるという点で関係があるようです。
自分が楽をすると相手に悪いと思う点、相手が困っているとついその人のために頑張るという点をあげていますが、この視点は、重要ですね。
私自身、子供の頃、言うなれば、小学校中学年の頃までは、自分が楽をすると相手に悪いとは思っていませんでしたね。相手が困っているとその人のために頑張るという発想もなかったですね。
そもそも、自然に考えれば、自分が楽をすると相手に悪いとは思わず、相手が困っているとついその人のために頑張るということはないですね。人間の本質はこのようなことでしょう。もちろん、非難されることではありません。
小学校高学年や中学校に入るころになると、やや大人ですから、大人の事情を鑑みたり、また、人のためにならなければならないという理想主義的な考え方になびいてみたりして、自分が楽をすると相手に悪いと思い、相手が困っていると助けなければという思考回路ができてくるのでしょう。
学校の教師も表面的な理想論として、このような考え方を助長していたように思います。ただ、その教師も実際には言うだけであったことでしょう。自分は楽をして何らの助けもしていなかったのですから。
しかし、それらの教師の振る舞いが悪いと非難してしまうと、貧乏体質の思考回路にやられているということになります。
教師たちは自分の都合の良いようにしたいから、理想的なことを言い、生徒にはそのように行動させようとしているだけなのですね。そこを見抜かなければなりません。
しかし、中高生や大学生、また、20代の社会人がそのことを見抜くことはできないですね。人生経験が乏しいですから。
ただ、世にいう不良といわれている人間の中でも、所謂、極悪人を除く不良は、その噓臭さに気付き、教師らに対して不信感を持つだけでなく、実力行使に至っていたのかもしれません。
生徒を都合よくコントロールしようという上記のメカニズムは分からなくとも、何かがおかしいと感じていたのでしょう。
思い返せば、私も、教師らに対し違和感がありましたが、上記のようなことだったのでしょう。もっと「自分基準」で生きておけばと思いますが、小学校高学年や中学生の頃の私にそれを求めるのは、やや酷かもしれませんね。
社会人でも「自分基準」が確立されず、心が他者に縛られて自分の意思がないような社会人がうようよいるわけですから。
いずれにしても、自分が楽をすると相手に悪いと思うことなく、相手が困っているとついその人のために頑張ってしまうことがないよう、「自分基準」で生きていくべきでしょう。
少なくとも、お金に縁があるようになりたいと思うならば、中途半端な表面的な理想論に振り回されず、人間の本質に基づいて行動すべきでしょうね。
自分自身の子供の頃を思い返せばよいということですね。
中途半端な知識ほど、貧乏を助長するものはありません。
知識を得るならば、完璧な知識を目指すべきですね。そうしますと、お金との縁ができてきます。