経文を見候へば烏の黒きも鷺の白きも先業のつよくそみけるなるべし
佐渡御書 959頁
人間には、先天的な業というものがあり、その業によって人生の方向性が決まってしまうといえます。
業によって全てが決まってしまうわけではなくとも、50パーセントは決まっていると考えておくのがよいでしょう。
残りの50パーセントは、後天的な努力によるものと思われます。
烏は黒く、白くなるわけではありません。逆に、鷺は白く、黒くなることはありません。
それと同様に、人それぞれにその人ならではの特質があり、その特質は変わらないということですね。変わる必要もないといえましょう。
その人の特質を伸ばし、展開し、成仏への道に連なればよいのであって、違うものになることを目指してはいけません。
信仰をして祈りが叶うという話をした際、悪態をつく人はこのようなことを言います。
「祈りが叶うというならば、100メートルを10秒未満で走ることができるのか」
これは、烏が白くなるのか、鷺が黒くなるのかと言っているのと同様の愚かさがあります。
オリンピック選手でもない一般人が100メートルを10秒未満で走ることができるわけもなく、また、その必要性は、正直なところ、全くありません。
祈りが叶うということは、その人の特質が伸びる、開かれるという形で顕現化することであり、その人の特質に適わないことは現実化しないわけです。
宗教、信仰という話になると、何でも叶うと勝手に早合点してしまう人がいます。
そして、何も叶わないという現実にぶち当たり、宗教、信仰に意味はないと短絡的に判断してしまいます。
それはそうでしょう。何でも叶うと考えている時点で、気違いじみているわけですから、そのような人の祈りが叶うはずはありません。
そもそも、宗教、信仰というものを何もわかっていない無知な人というだけのことです。
我々としては、自らの業を否定することなく、その業を活かしながら、未来に向かって努力を続け、境涯を上げていけばよいですね。