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2015年01月24日

まずは信仰心のあることが前提であること

法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし現世安穏・後生善処とは是なり
四条金吾殿御返事 1143頁

日蓮が四条金吾に送った手紙の一節です。

四条金吾は、信心強盛な人であり、その人に対して、改めて法華経の重要性を説いています。

法華経こそ遊楽の源泉であると言っているわけです。

四条金吾のように信仰心のある人にとって、この一節は心に響くと思います。その通り、その通りと合点がいくものでしょう。

より一層、信仰に磨きがかかるというものです。

しかし、信仰心のない人にとっては、この一節を聞いたところで、キョトンでしょうね。

信仰の必要性を感じないという場合もあるでしょうし、実際に、「信仰の必要性を感じない」と言う人もいます。

もちろん、信仰するかしないかは、その人の心の問題ですから、他者がどうのこうのと言える問題ではありません。

我々として注意しなければならないのは、この一節は信仰心のある人にとって重要なのであって、信仰心のない人にとっては必要がないということです。

そもそも、信仰心がないのですから、法華経だ、御書だといっても何も伝わりません。

伝わりもしない人に伝わりもしないことを言っても仕方がありません。

信仰するかどうかはその人の問題ですから、その人に問題を解決してもらえばよく、我々としては、信仰心が芽生えた人には、上記の一節を共に研鑽し、そうでない人には、通常通りのお付き合いでよいと思います。

無理に信仰を強要しても何の価値も生みません。

信仰心とは、自らの内側から滲み出るものです。外側から、他者から強要されて出てくるものではありません。

大切なのは、この一節の通りに、法華経信仰を通じて、自らが「現世安穏・後生善処」になることですね。これがなければ、信仰している意味がありません。

自らが「現世安穏・後生善処」になることによって、その姿を見た人が信仰の力強さを感じることがあるかもしれません。また、信仰する人があるかもしれません。

それは、その人の問題ですから、その人に決定してもらえばよいですね。

あくまでも我々としては、御書通り、法華経通りに信仰し、御書通り、法華経通りの境涯になればよいというだけのことです。

その過程で、信仰に関心を持ちはじめた人がいれば、その人に応じた話をすればよいということですね。

どのように話をすればよいかについて、悩む必要はありません。御書、法華経にヒントがたくさんありますので、別に困りません。

もし、どのように話をすればいいか悩んでいるならば、その人は、御書、法華経を読んでいないわけですから、そもそも、その人自身がまずは信仰をすべき状態にあるといえるでしょう。

信仰とは、勤行、唱題行だけでなく、御書研鑽、法華経研鑽を含むものと考えるのがよいですね。

また、信仰に関心を持っている人に対しては、あれこれ言うよりは、勤行、唱題をすること及び御書、法華経を読むことを勧めれば、それでよいでしょうね。

信仰は本人がするものですから、いちいち説明せずに、まずは信仰してもらい、実践してもらう方がよいでしょう。
posted by lawful at 08:20| 御書

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