「但生涯本より思い切て候今に飜返ること無く其の上又違恨無し諸の悪人は又善知識なり」(富木殿御返事 962頁)
日蓮は、佐渡に流罪になり、当初は塚原にいましたが、その後、一の谷に移っています。その一の谷において富木常忍に送った手紙の一節が上記の一節です。
一の谷は塚原に比べると過ごしやすいところであったようです。そこで、自分の人生を振り返り、また、今後、どのように生きていくのかを表明しています。
日蓮は、法華経の行者として生き始めてから、元々、思い切っており、困難があろうともその困難を引き受ける覚悟があるのですね。
そして、佐渡流罪になり、極限状態にありながらも、「飜返ること無く」、つまり、法華経の行者をやめるわけでもなく、志をなくすわけでもなく、今まで通り、突き進むというわけです。
さまざまな困難があったにしても、「其の上又違恨無し」なのですから、境涯の高さが窺われます。
多くに人々から裏切られたにしても、「諸の悪人は又善知識なり」とまで言い切るのですから、どこまで行っても前向きであり、変毒為薬の生き方となっています。
上記御文を拝すると、力強い生き方とは何かを教えられます。
くだらない人間は、上記御文と正反対ですからね。
つまり、元々、人生において思い切っておらず、不完全燃焼であり、困難があるとすぐ翻り、常に恨み辛みであり、悪い人間に振り回されるだけで、そこから教訓を引き出すことなどできない、といったところでしょうか。
弱弱しい生き方です。
それに対して、日蓮の生き方は、非常に力強い。
人生において、一番困難であるときに、一番力強い状態を堅持できることは素晴らしいことですね。
我々も、日蓮に学びながら、日蓮が至った境涯を目指すべきですね。