効率を考えるのはいいことですが、効率の悪いこと、効率でないことも重要であるとの視点が必要です。
『荘子』には、「無用の用」という言葉が出てきます。
「人は皆有用の用を知るも、無用の用を知る莫し」(新書漢文大系12『荘子』明治書院 65頁)
例えば映画の場合、いい映画を見たときは、感動するとともに充実感もあります。
意味があり、価値があったといえます。
つまり、有用であったといえます。
しかし、駄作を見る場合があります。
駄作ですから見たことが無駄であり、意味がなく、価値がないといえ、無用であったといえます。
しかし、駄作を見ることにより、いい映画を撮ることがいかに大変であるかが分かります。
駄作映画の監督、脚本家の力量は大したことがないにしても、さて、自分自身が映画を撮った場合、はたして、いい映画となるか。
もちろん、映画のプロではないわけですから、駄作映画監督の作品よりもみっともない作品となります。
いい気になって映画評論などしていると、思い上がった浮かれ者として世の笑いものとなるでしょう。
映画を撮ることは大事業なのだと気づかせてくれるのが駄作映画の「無用の用」といえます。
駄作映画ならではの用があります。