加藤徹『漢文力』中公文庫にて『荀子』修身篇の一節が紹介されていました。
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我を非として当る者は吾が師なり。我を是として当る者は吾が友なり。我に諂諛する者は吾が賊なり。
自分を非難してくれる人は、自分の先生といえる。自分を支持してくれる人は、自分の味方といえる。自分にお世辞を言って褒めちぎる人は、自分をおとしいれようとたくらむ敵である。(244頁)
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人間は不完全な存在であり、至らぬ点だらけです。
よって、我が身の至らざるところを指摘してくれる人は、先生といえます。
変に恨まれても困りますから、好き好んで人の至らない点を指摘する人はいないでしょう。
その人に対する相当な好意、愛情、愛おしさという感情がなければ、その人の非を指摘することはありません。
このような感情を持ってくれているだけも先生といえるでしょう。
自分を支持してくれる人が味方というは、その通りです。
さて、お世辞を言う人や、褒めそやす人は危険であると注意しています。
世の社長等、責任ある立場の人で失脚した人々も、当初は、問題点を指摘してくれる人や支持者に囲まれていたでしょうが、途中から、自身の心掛けが安逸になり、そのような人々がいなくなって、お世辞ばかりのイエスマンに囲まれてしまったのでしょう。
確かに、お世辞や褒めてくれる方が心地よいでしょうが、心地よさで物事を判断してはいけません。
不完全な自分がそんなに褒めてもらえる存在であると思うのは、大きな勘違いです。
勘違いが蓄積されていけば、いずれは破滅でしょう。
お世辞を言う方は、意外と冷静に相手の不完全さをよく分かっていることでしょう。
分かっていなければ、適切なお世辞も言えません。
その上で、お世辞を言うことによって得られる利益をこと細やかに計算していると思われます。
相手が利用できるまではお世辞を言い、利用価値がなくなったら、ポイ捨てでしょうね。
身近な生活の場面でも、『荀子』の言葉は、重要です。
思い返せば、心当たりがありますね。
気を付けたいものです。