「身つよき人も心かひなければ多くの能も無用なり」(乙御前御消息 1220頁)
世の中での成功者、社会での成功者は、才能がある人が多く、また、人一倍努力する人が多いものです。
それ故、成功するのですが、果たしてその人の人生そのものはどうであったかと観察してみますと、パッとしない人生である場合があります。
世の中、社会というのは外面であり、その人の人生そのものは内面です。外面で成功しても、内面で成功するとは限らないのですね。
自分自身の人生を生きるのが内面での成功といえましょう。
しかし、外面で成功することに慣れてしまうと、つまり、他人の求めや要望に応えることに慣れてしまうと、自分自身の人生を生きることができなくなります。
虚勢を張ってみたり、わざと自分を大きく見せたり、強がってみたりしても、所詮、そのようなことは虚像であり、自分の人生を生きるという観点からすれば、それこそ、どうでもいいことです。
世の中での成功、社会での成功は、金銭的な報酬及び名声、名誉が得られますが、内面の成功がなければ、肝心の心の充足がありません。
根本的に自分の人生を生き切れない人は、小心者なのかもしれませんね。心が弱いという致命的な欠陥があるようです。
この心が弱いという致命的な欠陥を直そうとする努力ができればよいのですが、そもそも、心が弱いのですから、実のところ、何にもできないのですね。
ある意味、先天的な事柄といえましょうか。後天的にどうにかしようとしても、どうにもできないというジレンマがあるようです。それ故、内面でない外面での努力が際立つのでしょう。そして、外面での才能が開花するという仕組みなのかもしれませんね。
いくら、才能のある人、努力する人、つまり、「身つよき人」であっても、心が弱ければ、その才能、努力も意味がないというのですから、よくよく気を付けておかなければなりません。
人のために生きるのは結構ですが、自分自身の人生を生きずして、どうするのでしょうね。
金銭的な面で恒産を得ながらも、それなりの名声があればあったでよしとして、なければないでよしとして、一番大事な心の充実を中心に生きていくことですね。
心がしっかりしていれば、それなりの才能、努力であっても、問題ないということです。