「仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり、幸なるは我が一門仏意に随つて自然に薩般若海に流入す、世間の学者の若きは随他意を信じて苦海に沈まんことなり」(諸経と法華経と難易の事 992頁)
自分自身の姿勢が曲がっていますと、当然のことながら、その影もまがった影として地面に映ります。
当たり前のことなのですが、これが分からす、体が曲がったままでありながら、影をまっすぐにしようとする愚かな振る舞いがないか、自らを省みることが必要ですね。
人間が人生を歩む上で、信仰が根本になると思いますが、その信仰がひん曲がっていますと、社会生活においてもひん曲がった社会生活になります。狂信者は狂信者なりの社会生活になっています。
反対に、実直な信仰をしている人の社会生活は、豊かな社会生活になっています。
身近な実践としては、背筋を真っ直ぐに伸ばし、姿勢を整えることですね。勤行の際、このことを気にすると良いでしょうね。
また、実生活においても、背筋を伸ばしていくことですね。
姿勢がよくなれば、その状態に応じた精神状態になります。そうしますと、仏法の法理もすんなりと自身の中に入っていきます。
そして、智慧のある人間になり、境涯が上がるというわけです。
仏法の法理が入らない場合、苦しみの世界に沈むようですね。気を付けましょう。
いずれにしても、御書、法華経を中心とした信仰に基づき、智慧を出しながら、豊かに生きていくことですね。