「白い巨塔」では、東教授が出てきます。東教授は停年退官後の行き先を官僚に頼むのですが、そのことすら気に入らないようです。
「何もかも、人と人との繋がりによって動き、それが実力よりも大きな働きをする不条理な世の中だと、不快になりながらも、なお原に頼らねばならぬかと思うと、東は今さらながら、国立大学の教授といっても、現職であってこその教授で、停年退官を迎える教授の力の無さを感じた。なまじ医学者であり、国立大学の教授であるため、そこらの商社の社員にように傍系会社へ自分を売りに廻るわけにもゆかず、そうかといって黙っていても向こうから頼んでくるような二流の地方大学の学長や、地方都市の市民病院長になるぐらいなら、いささかの恒産があるのを幸いに、悠々自適する方がましだとも考えた」(『山崎豊子全集』6 新潮社 190頁〜191頁)
東教授は、とにかく不機嫌なのですね。
プライドが異様に高い東教授からすれば、就職活動をするなどもってのほかであり、然るべきポストに向こうから迎えに来いという考えのようです。
なかなかの思い上がりですが、このような人は意外と多いのかもしれませんね。
しかし、世の中そんなに甘くはなく、素晴らしい就職先が転がり込んでくることなどありません。
そのため、東教授は、原という官僚に就職先の斡旋を頼むのですが、その原という官僚も「慇懃な言葉の中に、官僚らしい思い上がりと恩着せがましさがあった。東は思わず、不快になり」(同書 187頁)という人物であり、思い上がりという共通項があります。
やはり、似た者同士は繋がるということでしょう。
東教授は、停年退官を迎える教授の無力さを感じますが、所詮、ポストに力があるのであって、そのポストに付いている人間は取替可能であり、自分に力があると思っているところは、やや世間知らずの若者のようですね。おめでたい人ともいえましょう。
そして、医学者であり国立大学の教授であるから、自分の売り込みなどできないと思っています。別に自分を売り込んではいけないという取り決めがあるわけではなく、東教授は、俺様気分で、そんなことできるかと鼻高々なのですね。
その割には、官僚に頼んでおり、結局は、就職活動をしています。しかし、その就職活動そのものが気に入らず、不機嫌というわけです。困った人ですね。
心配しなくてもなることができる二流の地方大学の学長や地方都市の市民病院長は嫌なのですね。やはり、思い上がり病がひどいようです。
あれも嫌、これも嫌ということで、めんどくさい人ですね。
東教授には、「いささかの恒産」があるということでお金には不自由しないようです。悠々自適でもいいのですが、次の就職先、それも格式のある就職先が欲しいのですね。
お金だけでは満足できず、お金以外のものも欲しがるのですから、相当な欲張りですね。ここまでくると、異常性質の人間といえましょうか。
一定数、このような人がいるのは確かですが、その割合は少なくあってほしいですね。このような人が増えると社会が乱れます。
人間にとって、気を付けなければならないのは、思い上がりでしょう。いかに、思い上がらないように自分を律するか、これが肝要です。
冷静になることでしょうかね。
「白い巨塔」のこの一節は、興味深い一節であり、鋭い人間観察がみてとれます。
人間の欲望が底なしであることがよく分かります。
ひとつ気になるのは、「いささかの恒産」です。これは、欲しいところですね。なかなか面白い表現です。恒産なのですが、「いささか」とは控えめな感じですね。
多額の財産が必要というわけではありませんが、「いささかの恒産」ならば、あってもよいですね。
あとは、東教授のようにみっともない生き方をしないようにすることですね。