「一丈のほりを・こへぬもの十丈・二十丈のほりを・こうべきか」(種種御振舞御書 912頁)
学生時代や20代、30代のころを思い出しますと、一丈の堀を越えることができないにもかかわらず、十丈、二十丈の堀を越えようとしていましたね。
所謂、愚か者の振る舞いですが、当時は、よく分かっていなかったのですね。
あれもこれもといった姿勢でした。確かに、さまざまな分野に関心を持つことは結構なことですが、中心的に研鑽しなければならないことは、せいぜい、一つか二つといったところでしょう。もっと言いますと、一つで一杯一杯でしょうね。
中心的に研鑽すべき事柄以外のことに関しては、あれもこれもでもよいともいます。所詮は、中心的でない事柄ですので、多くの時間を取られるわけでもなく、興味がなくなれば、そのままにしておけばよいので、別段、問題はありません。
しかし、中心的に研鑽すべきことが、あれもこれもといった感じになると、散漫になってしまい、結局、何もものにすることができないまま、時間だけが経過し、空っぽの状態が続いてしまいます。
人間の能力には、限りがあるわけですから、中心的に研鑽すべきと決めた一つの事柄を深めるのがよいでしょうね。
一人ですべてをこなすのではなく、多くの人がそれぞれの専門分野を研鑽するのが正しい姿でしょうし、そのようなことしかできません。
まず、一丈の堀を越えたならば、その次は二丈、三丈と積み重ねていくことですね。
十丈、二十丈の堀を越えようとする姿勢は、あらゆる分野を研鑽しようとする姿勢といえ、無謀極まりない振る舞いですね。全能感の症状が出ているともいえましょう。
できもしないこととは、最初からせず、できることをしっかり行い、深めていくという姿勢が好まれます。
世の成功者を見てみますと、やはり、一つの分野を極めていますね。その分野を深めています。そうであってこそ、成功するわけです。
時間の面から考えても、一つのことを深めるだけで人生が終わってしまうでしょう。
それにもかかわらず、全能感の症状を呈して、あれもこれもと取り組んでいるならば、時間は全く足りず、一つのことすら満足にできず、その一つのことにしても基礎的なところもあやふやとなってしまうことでしょう。
あれもこれもではなく、一つの分野を極め、その中心的な事柄を深め、軸ができたならば、補助となる事柄をその軸に絡めていくというぐらいがちょうどいいでしょうね。