「自分にコンプレックスがあるということの意味は何か。自分の存在の評価を他者による評価によって測ろうとすることだ。他人に褒められると自分を過度に甘やかし、他人が非難すると極端に自信喪失する。自分で自分のしていることを評価できない。褒められても簡単には納得しない、けなされても落ち込んだりはしない、そういった自己評価ができない。自己評価することができないと通俗的な既成の世界秩序(=世間)に頼らざるを得なくなる」(芦田宏直『努力する人間になってはいけない』ロゼッタストーン 97頁)
コンプレックスとは厄介なものです。ない方がいいのですが、全くなくなることはなく、時折、顔を覗かせます。
特に、若い時分は、コンプレックスの塊でしたね。今は、年を取ったせいか、以前に比べると格段にコンプレックスがなくなりましたね。コンプレックスがない方が気楽で、ストレスも溜まりません。また、世の中を見る目も研ぎ澄まされます。世の中がよく見えるようになるのですね。
ある意味、コンプレックスとは物事を見る眼を曇らせるものなのかもしれませんね。
芦田氏によると、コンプレックスとは「自分の存在の評価を他者による評価によって測ろうとすること」であるわけですが、よくよく考えますと、自分の存在を他者に評価してもらうとは、無謀な試みですね。なぜ、自分を他者に評価させるのか。冷静に考えれば意味不明です。自分の人生を生きるのは、他でもない自分なのですから、最初から最後まで自分で責任を持って生きていくべきです。他者の入り込む余地などないはずです。
他者に評価してもらおうという生き方それ自体が破綻した生き方です。そのような人間に世の中が見通せるわけもなく、あっちフラフラ、こっちフラフラという人生になるのでしょう。
心配しなくとも、他人は良い評価をしてくれません。悪口、罵詈、雑言をこれでもかと投げつけてきます。そのようなものをいちいち相手にしていますと疲れますよ。そもそも、相手にしなくてもいいのです。
そのような相手にしなくてもよい他人に自分の存在を評価してもらおうとは、おバカさんにも程があるというものです。
自分のことは自分で評価すべきですね。所詮、世間などというものは、変転極まりないもので、評価の基準とすべきものではありません。
落ち着いて考えれば分かることなのですが、人間には業があるためなのか、他人の評価を気にしてしまいます。気にするのは結構なのですが、気にし過ぎなのですね。ほどほどの距離感をもって他人とは付き合うべきでしょう。
ただ、自分で自分を評価するといっても、その自分がこの世で一番手厳しい評価者であることを忘れてはなりません。他人と違いごまかしがききませんからね。
他人を欺くことなど簡単なことでしょう。この私を知りもしないのですから。しかし、自分は自分のことをよく分かっています。常に一緒ですからね。
自分で自分を評価する生き方というのは、厳しい生き方ではあるけれども、正直な生き方ですね。