無量義経では、愚かな人間について、辛辣にコメントしています。
「諸の衆生は虚妄に、是れは此、是れは彼、是れは得、是れは失と横計して、不善の念を起こし、衆の悪業を造って、六趣に輪廻し、諸の苦毒を受けて、無量億劫、自ら出ずること能わず」(『妙法蓮華経並開結』創価学会 23頁から24頁)
愚かな人間は、虚ろで妄想しており、大した判断力がないにもかかわらず、あれはこうだ、これはこうだと言い、こっちの方が得で、あっちの方は損だというふうに勝手な考えを持っている特徴があるようです。そして、その判断はすべて間違っているというおまけつきです。
そして、善とは正反対の感情を抱き、悪業ばかり作って、所謂、六道輪廻でグルグルしているという。
そのため、「功徳(くどく)」ならぬ「苦毒(くどく)」を受け、苦しみの世界から永遠に出られないでいるというわけです。
情けない限りですね。
現代においても、このような愚かな人間はうようよしています。大した学識がないにもかかわらず、くだらないことを言っている割には、ドヤ顔を見せつける人間など、おかしな人間を見ることが多いものです。
何が得で、何が損なのかの判断が出来ないにもかかわらず、分不相応に得失を判断して、結局、損をしている人も多いですね。
心の卑しい人間も多く、悪いことばかりしている人間も多い。
十界論でいうところの声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界には縁がなく、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界の六道を巡っているだけの人間も多いですね。
結局、苦しみと毒だけの「苦毒」を食らって、不幸のままというわけです。
無量義経は、481年に曇摩伽陀耶舎によって訳された経典ということで古いわけですが、現在の全然「功徳」のない人間のことを言い当てており、古今を問わず、人間の性質なるものは、ほとんど変わっていないということが分かります。
我々としては、この状態と正反対の生き方を目指せばいいわけで、愚かな人間の特徴を知ることは有益ですね。あとは、活用次第ということでしょう。