世尊とは、仏のことですが、無量義経にその特質の一端が示されていますので確認してみましょう。
「若し人は刀杖もて来って害を加え 悪口罵辱すれども終に瞋りたまわず」(『妙法蓮華経並開結』創価学会 19頁)
この世尊は、刀や杖で攻撃されても、悪口を言われても、罵倒されても、辱めを受けても、瞋らないという存在なのですね。強烈な人格といってよいでしょう。
このような人格、品格を得ることができればよいのですが、凡夫たるもの、この境涯の足元にも及びません。
しかし、そうはいっても、この境涯を目指す必要はありますし、目指す過程において、人間に対する鋭い観察眼を得ることができるでしょう。
人間は、つい人の悪口を言ってしまうものであり、他者を罵倒したいという卑しい性質を持っています。
このようなことが分かると、いたずらに瞋ることもなくなります。世尊に近づくわけですね。
その他の世尊の特質を見てみましょう。
「遍く一切の衆の道法を学して 智慧は深く衆生の根に入りたまえり」(同書 20頁)
世尊は、さまざまな道や法を学び、智慧が深いということです。その智慧も自分だけの智慧ではなく、衆生の根性、性根にまで浸透させるほどの影響力があるというのですね。上っ面の智慧でないということです。
我々は、この現代に生きており、知識はふんだんにあるといえますが、さて、智慧はどうかというと心許ない。
深い智慧があるだろうかと自問しますと、不安になってきますね。雑多な知識だけで事足れりとすべきではありませんね。
世尊とは、我々が目指すべき存在であり、その目指す過程において、いろいろなものが見えてくるという構造になっています。