「創価学会(SGI)の海外の会員数は約170万人といわれているが、そのなかで韓国SGI(以下、KSGI)の登録会員数は、KSGI広報局の公式資料によれば、約150万人で、そのうち、座談会の参加者は約73万世帯(2012年12月27日現在)に至っているという」(朴承吉「創価学会の海外組織―韓国SGIの急伸要因」南椿模訳 西山茂責任編集『近現代の法華運動と在家教団』 春秋社 365頁)
約170万人の海外の創価学会員のうち、約150万人が韓国ということは、日本及び韓国を除く地域の創価学会員数は、約20万人ということになります。
こういっては何ですが、世界(日本と韓国とを除く)での信仰者数が20万人とは、あまりにも少ないですね。
日本と韓国との人口を除いた世界人口が約70億人と考えますと、日本と韓国以外での創価学会員数が20万人ということですから、割合としては、約0.002857パーセントです。
ほとんど存在しないに等しい数字ですね。
創価学会は日本の新宗教であり、日本においては、それなりの勢力と影響力とを持っており、韓国においても「韓国社会に及ぼす影響力は少なくないと考えられる」(同書 369頁)わけですが、世界的に見ると、存在を確認することそのものが困難です。
以下のように巨大宗教と比べますと、その差に驚きます。
キリスト教徒(全体) 約20億人
ローマカトリック 約10億5000万人
独立主義教会 約3億8000万人
プロテスタント 約3億4000万人
ムスリム(イスラム教徒)約11億8000万人
ヒンドゥー教徒 約8億1000万人
仏教徒 約3億5000万人
新宗教信者 約1億人
上記のうち、創価学会は、仏教徒、若しくは、新宗教信者に含まれると思いますが、いずれにしても、巨大宗教たるキリスト教、イスラム教に比べますと、極小宗教団体です。
日本にいますと、それなりに宗教や政治に関心を持っている人であるならば、創価学会は影響力のある巨大な団体という感覚があります。
しかし、目を世界に転じると、全く違う現状が見えてきます。つまり、存在を確認することができないぐらいの極めて小さな存在なのですね。
創価学会の機関紙の聖教新聞やテレビCMを見ると、いかにも世界に広がっているというイメージですが、所詮、それはイメージであって、現実には広がっていません。
もちろん、世界的に見れば少ないとはいえ、約20万人いるわけですから、全く広がっていないとは言えないでしょうが、やはり、大きく捉えると、広がっていないと解釈するのが妥当でしょう。
世界に広げたいと考えるならば、創価学会としては、まだまだ、為すべきことが多いということになりましょう。創価学会的な言い方をすれば、まだまだ草創期も草創期ということでしょう。
ただ、日本において、それなりの財源を確保してしまうと、それで安心してしまい、困難な世界進出などやりたくないというのが本音なのかもしれませんね。相手にしなければならないのは、キリスト教、イスラム教などの巨大で歴史のある宗教なわけですから、普通に考えますと、それらの宗教を凌駕するのは困難ですから、二の足を踏むのも分からないではありません。
創価学会の勢力がどうなろうと、別にどうでもいいわけですが、キリスト教、イスラム教と発想が違う仏教、就中、法華経や日蓮仏法の考え方は、今後の世界をリードしていく上で、重要と思いますね。
一神教に基づくキリスト教やイスラム教であれば、神を中心とするものの考え方により、恣意的に世界を解釈し、それなりに秩序を構築しやすいという利点があるでしょうが、所詮、それは人間の頭の中で作り上げた秩序です。
この世界は、人間だけでなく自然もあるわけですから、人智を超えたものを神として定立し、それで事足れりとするのではなく、難しくとも、人智を超えた自然をそのまま感じ取りながら自らの立ち位置を見出すべきと思われます。
この点、仏教は、自然と共に人間があるという考え方に貫かれており、環境破壊が甚だしい現在の世界に必要な視点を提供してくれます。
「「東大門派」の韓国語の読経問題は、後刻、日本の創価学会本部の仲裁によって、「ナムミョウホウレンゲキョウ」は末法保存の宝号で本尊を呼ぶ一種の「化法」(教えの根幹)であるのでそのまま使わなければならないが、経典(経文)は「化儀」の問題なので韓国語に換えて使ってもよいという許可を、1969(昭和44)年1月14日に、日本本部が日蓮正宗の法主から貰うことによって、一応解決された」(同書 373頁)
はじめて知りましたが、いろいろあったのですね。
経典に関していえば、創価学会、日蓮正宗では、法華経方便品寿量品を読誦する場合、真読しますが、霊友会、立正佼成会では、訓読していますね。
日本においても、真読と訓読との違いがありますね。
韓国においては、真読ではなく、訓読するにしても、やはり、日本語ですから、韓国語に翻訳して読誦したいと思うのは当然でしょう。
これはこれで問題がないと思うのですが、当時は、これでいいのだろうかと議論があったようですね。
結局、日蓮正宗の法主の許可で解決したようですが、日本以外で宗教を広げるのは大変な作業ですね。
「KSGIは、1995(平成7)年に財団法人化の過程で分派した「善の連帯」と現在でも葛藤と対立を続けているが、それにもかかわらず、両者とも、師弟不二の理念によって池田SGI会長との一体化を志向しているということには変わりはない」(同書 380頁)
これもはじめて知りましたが、韓国の創価学会は分派しているのですね。
今後、日本の創価学会にも同じようなことが起きるかもしれません。
少なくとも、韓国では、約20年前に起こっていることですから、分派は起きないとは言い切れませんね。
日本においては、池田大作さんが存命の間は、何も起こらないでしょう。ただ、「当然ながら、いつかは迎えるしかない池田会長の不在という状況になると、それは、「KSGI」にとっては、直ちに新たな「挑戦」の始まりになると思われる」(同書 382頁)のと同様に日本の創価学会にとっても、大きな「転機」にはなるでしょうね。
ある意味、日蓮正宗と創価学会とが別々の団体として、それぞれの特色、特徴を持つに至り、袂を分かつにしても、所詮、根本的なところは同一であり、どこまで行っても「日蓮正宗創価学会」です。
日蓮正宗としては、創価学会とは違うと言いたいところでしょうが、信徒の大多数は元創価学会員であり、ただ単に「元」が付いているだけで、中身は正真正銘の創価学会員です。
日蓮正宗の活動を見てみますと、いつの間にか創価学会のようになっています。やはり、創価学会で薫陶を受けた元創価学会員の力量が遺憾なく発揮されているということでしょうね。人間はすぐに変われるわけではなく、いままでの習慣が滲み出てくるものです。
創価学会としても、日蓮正宗とは違うと言いたいにしても、題目、本尊、御書という根本的なところは、日蓮正宗から持ってこなければならず、日蓮正宗を外して創価学会は存在できません。やはり、創価学会の中に日蓮正宗が厳然と鎮座しているのですね。
韓国の創価学会も、「KSGI」と「善の連帯」とで別々の団体になっても、根本的なところは同一であり、所詮、「韓国の創価学会」ということですね。
今後の日本の創価学会が分派することがあっても、結局、上記のように、教団が分派するだけであって、中身は同じと考えておけばよいでしょう。
信仰するという観点からすれば、教団が分派しようがどうしようが、本質的には、あまり関係がないのですね。
利用価値、使用価値がある教団があればよく、なければないで問題はありません。
自立した信仰者であれば、何ら困ることはありません。教団分派の過程を観察することによって、人間とはいかなる存在であるかが分かり、勉強になるという利点はあるでしょう。
教団としては、自立していない信仰者が、お得意さんですから、教団がなければ信仰が出来ませんよという大きな嘘を言いながら、また、脅しをかけながら人の信仰の自立を阻みながら、集金に余念がないのでしょうね。
信仰者としては、教団を厳しく監視しながら、利用できるときは利用し、利用されそうになった場合は、素早く退避することですね。
いちいち相手をしていますと、時間とお金とエネルギーとがなくなってしまいます。