『葬式は、要らない』を読了しました。
概ね、島田氏の主張に賛同しますね。
葬式、戒名、僧侶の読経、お布施等々、必要ないでしょうね。
葬式にしても、直葬、若しくは、家族葬でよいでしょうね。
世間体について論じられていましたが、確かに、世間体とやらは、厄介ですね。人は、どうしても世間体なるものが気になるものです。
しかし、世間体といっても、身近な人や知り合いの集合体であり、ほとんどの人は、赤の他人とは言わないまでも、ただの他人です。
実のところ、何も気にすることはないのですね。
しかし、気にしてしまう。ここが世間体なるものの恐ろしさですね。
どうでもいいものを恐れてしまう病気ともいえましょう。
境涯が上がりますと、世間体を気にするという病気から解放されます。
必要なものと必要でないものとが見分けられるようになりますね。
そうしますと、葬式、戒名等は、排除されますね。
葬式をしたい、戒名が欲しい(もちろん、院殿号)という人は、それでいいでしょう。その人の自由ですから。
ただ、まともにものを考える習慣のある人間からすると、滑稽に見えますね。
やはり、常に勉強する人間でないと、どうでもいいものに振り回されてしまいます。
これからは、不必要なものにお金と時間とを使わないことが大切になりますね。
葬式は、要らない、と同様に、さまざまなものについて、これは、要らないと検討することですね。
そうしますと、
新宗教団体への寄付は、要らない。
機関誌も、不必要な部数は、要らない。
新宗教団体へのボランティアは、要らない。
お酒は、要らない。
煙草は、要らない。
すぐゴミになるモノは、要らない。
どうでもいい会合とやらは、要らない。
意味不明なセミナーは、要らない。
見栄は、要らない。
どや顔は、要らない。
嫉妬は、要らない。
精神的にいってしまっている人との付き合いは、要らない。
儲けにならない顧客は、要らない。
このように考えますと、お金と時間とが増えていきます。
「幸せになってしまうじゃないですか」という声が聞こえてきそうですが、それでいいんじゃないでしょうか。
そして、必要な事柄には、お金と時間とを注ぎ込んでいきたいですね。
所謂、投資ということになりますでしょうか。
本書も出版された当初は、刺激的だったと思いますが、今読みますと、違和感はありません。
4年半の月日の流れで、日本が変わっているという証左ですね。
8月1日にPL教団の花火があるとは貴重な情報ですが、もう過ぎてしまっていますね。残念です。
「新宗教の教団はたいがい閉鎖的で、信者だけの利益を追求することになりがちである。その点では、葬式の代わりに花火を派手にあげるのは、一種の社会貢献である」(本書 176頁)
ただ、ある新宗教団体になると、信者の利益はなく、教団職員の利益だけを追求していますので、この点は要注意ですね。