アフィリエイト広告を利用しています

2014年07月12日

学校は勉強するところではない

学校教育とやらについていろいろ考えてみたのですが、小学校、中学校までは、教育が必要でしょう。

つまり、教えてもらうということですね。

義務教育の段階では、とにかく、教わることが大切であり、その教わったことを身に付けることが大切です。

自分で勉強するために必要な素材を学ぶ時期といえます。

では、高等学校は、どうか。

少なくとも、いい年をしたティーンエージャーが教わってどうする、といったところでしょうか。

自分で勉強できる力を義務教育の時に得ているわけですから、あとは、自分で勉強すればよいだけです。

自分で勉強する力がないならば、義務教育からやり直しです。

そもそも、自分で勉強する力を付けないで中学校を卒業してはいけません。

勉強したくなければ、しなければよいだけです。

高等学校に行く必要はありません。

また、高等学校に行かなくとも、勉強はできます。

では、大学は、どうか。

大学は、教育、勉強という次元を超え、調査、研究の場でしょうね。

ほとんど、ビジネスであると捉えておくのがよいでしょうね。

お遊びの場ではないということです。

そもそも、大学に来て、何かを教えてもらおう、勉強しようという発想が間違っています。

調査、研究する人が集まるのが大学です。

もちろん、実験なり設備が必要な理系以外では、大学に行かなくとも、調査、研究できる分野も多いでしょうから、大学に行けないからといって嘆く必要はありません。

自分で調査、研究すればよいだけです。

このように考えてみますと、小学校、中学校という義務教育は絶対に必要であることが分かります。

また、調査、研究をする大学も世の中の改善のために、それなりに必要であるといえるでしょう。

しかし、勉強する場として高等学校を位置付けましたが、別に高等学校がなくても勉強はできるわけで、高等学校が不必要という結論になりそうです。

まとめますと、小学校、中学校の義務教育の内容を充実させ(多少、高等学校のカリキュラムを組み込んでもいいかもしれません)、大学においては、教育、勉強という側面はすべて廃止し、調査、研究のみに絞るというのがよいですね。

義務教育の内容をマスターしているならば、15歳で世の中に出ても、社会人として仕事をすることに問題はないでしょう。

ただ、義務教育の内容をマスターしているという前提ですから、ほとんどの人は該当しないでしょうね。

やはり、高等学校の3年間に相当する時間をどこかでつぶさないといけないようですね。

まさか、兵役というわけにもいきませんので、いいアイデアがあれば、そのアイデアを採用したいところです。

高等学校ではなく、何がしらの専門学校を2年から3年というのもいいかもしれません。

もちろん、中学を卒業してから直に大学に行ってもいいと思います。

一定の割合で優秀な人はいますから、その人たちが大学に行けばいいわけです。

その他大勢の人は、早く社会に出て、それぞれ社会に貢献することですね。

心配しなくとも、社会に出てからであっても、いくらでも勉強できます。

勉強は学校でするものではなく、自分でするものです。
posted by lawful at 16:14| 雑感

観心本尊抄―訳注

新品価格
¥1,980から
(2023/1/1 22:16時点)

日蓮 「闘う仏教者」の実像 (中公新書)

新品価格
¥906から
(2024/1/6 19:41時点)

岩波 仏教辞典 第三版

新品価格
¥9,900から
(2024/1/6 19:42時点)

図説 ここが知りたかった!日蓮と法華経

新品価格
¥1,925から
(2024/2/10 15:31時点)

カテゴリアーカイブ
<< 2024年11月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

観心本尊抄―訳注

新品価格
¥1,980から
(2023/1/1 22:22時点)

日蓮 「闘う仏教者」の実像 (中公新書)

新品価格
¥906から
(2024/1/6 19:41時点)

岩波 仏教辞典 第三版

新品価格
¥9,900から
(2024/1/6 19:42時点)

図説 ここが知りたかった!日蓮と法華経

新品価格
¥1,925から
(2024/2/10 15:31時点)

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村