学校教育とやらについていろいろ考えてみたのですが、小学校、中学校までは、教育が必要でしょう。
つまり、教えてもらうということですね。
義務教育の段階では、とにかく、教わることが大切であり、その教わったことを身に付けることが大切です。
自分で勉強するために必要な素材を学ぶ時期といえます。
では、高等学校は、どうか。
少なくとも、いい年をしたティーンエージャーが教わってどうする、といったところでしょうか。
自分で勉強できる力を義務教育の時に得ているわけですから、あとは、自分で勉強すればよいだけです。
自分で勉強する力がないならば、義務教育からやり直しです。
そもそも、自分で勉強する力を付けないで中学校を卒業してはいけません。
勉強したくなければ、しなければよいだけです。
高等学校に行く必要はありません。
また、高等学校に行かなくとも、勉強はできます。
では、大学は、どうか。
大学は、教育、勉強という次元を超え、調査、研究の場でしょうね。
ほとんど、ビジネスであると捉えておくのがよいでしょうね。
お遊びの場ではないということです。
そもそも、大学に来て、何かを教えてもらおう、勉強しようという発想が間違っています。
調査、研究する人が集まるのが大学です。
もちろん、実験なり設備が必要な理系以外では、大学に行かなくとも、調査、研究できる分野も多いでしょうから、大学に行けないからといって嘆く必要はありません。
自分で調査、研究すればよいだけです。
このように考えてみますと、小学校、中学校という義務教育は絶対に必要であることが分かります。
また、調査、研究をする大学も世の中の改善のために、それなりに必要であるといえるでしょう。
しかし、勉強する場として高等学校を位置付けましたが、別に高等学校がなくても勉強はできるわけで、高等学校が不必要という結論になりそうです。
まとめますと、小学校、中学校の義務教育の内容を充実させ(多少、高等学校のカリキュラムを組み込んでもいいかもしれません)、大学においては、教育、勉強という側面はすべて廃止し、調査、研究のみに絞るというのがよいですね。
義務教育の内容をマスターしているならば、15歳で世の中に出ても、社会人として仕事をすることに問題はないでしょう。
ただ、義務教育の内容をマスターしているという前提ですから、ほとんどの人は該当しないでしょうね。
やはり、高等学校の3年間に相当する時間をどこかでつぶさないといけないようですね。
まさか、兵役というわけにもいきませんので、いいアイデアがあれば、そのアイデアを採用したいところです。
高等学校ではなく、何がしらの専門学校を2年から3年というのもいいかもしれません。
もちろん、中学を卒業してから直に大学に行ってもいいと思います。
一定の割合で優秀な人はいますから、その人たちが大学に行けばいいわけです。
その他大勢の人は、早く社会に出て、それぞれ社会に貢献することですね。
心配しなくとも、社会に出てからであっても、いくらでも勉強できます。
勉強は学校でするものではなく、自分でするものです。