「親疎と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ御心得候へ」(報恩抄送文、330頁)
仏教を信仰し、他の人にも仏教の信仰を勧めることがありますが、「心に入れぬ人」にいくら話をしたところで意味はありません。
仏教の法門を聞きたいという人にお話をすることですね。
折伏だなんだといって、自分の幸せばかりを考え、仏教の法門を「心に入れぬ人」に対して勧誘しているようでは、真の仏法信仰者とはいえません。
まずは、自分自身の境涯を上げ、法門を聞きたいと思う程の境涯の人と出会う人間になることが先決です。
ほとんどの人は、仏教の法門を聞きたいという殊勝な心掛けなどありません。
よって、仏教の信仰を勧めるべき人など、ほとんどいないというのが実情です。
無理に勧誘するために、不必要な摩擦が起きるわけです。
御書をしっかりと読めば、間違った行動を是正することができます。
この点において、御書研鑽がいかに重要なのかがお分かりいただけるものと思います。
自分の欲を満足させるだけの行動は厳に慎むべきですね。