あらゆる人々は、仏性という考え方からすると、どの人も大切であり、重要であり、かけがえのない存在といえます。
この仏性の考え方は、素晴らしいのですが、この仏性の考え方を何の工夫もなく適用しますと、息苦しくなります。
つまり、どのような人であれ仏性があるといっても、その仏性が顕現されていない人の方が多く、取るに足らない人だらけです。
そのような人々まで大切にし、重要だとしているならば、ストレスがたまるばかりです。
よしんば、どのような人であれ仏性があるという点を強調し、誰であれ重要だとしても、この考え方をそのまま適用するのではなく、自分にとって重要な人かどうかという視点を持つことが大切です。
確かに誰であれ仏性があるから重要な人という点に異議がなくとも、自分にとって重要でない人という場合があります。
ポイントは、「自分にとって」という点です。
その人がどうであれ、それはその人の人生ですから、機嫌よく生きていかれればよろしいわけで、こちらとしては何らの文句もありません。
ただ、私の人生、生活の邪魔をする人は、私にとって重要な人ではなく、それどころか、とんでもない人ですので、遠慮なく排除させていただきますよ、ということですね。
常に顔を合わせる人に関しても、必要以上に関わらないという姿勢を持つ必要があります。
今まで出会った人でもう会わない人であっても、いろいろと思い出すことがあります。
もう会わないからよかったといえないわけです。
思い出してしまうわけですから。
嫌な思い出が出てくるのですが、このような嫌な思い出が出てきた際に、「あなたは私にとって重要ではありませんので、出てこなくて結構です」と排斥することです。
それこそ、厳しく叱責するように対処しませんと、調子に乗っていつまでも出てきます。
ある意味、このような嫌な思い出は、お化けみたいなもの、浮遊霊みたいなものでしょう。
さっさとお祓いすることですね。