嫌なことを忘れたいと思いものですが、忘れることができないものです。
忘れていないわけですから、時折、ふっと思い出してしまい、不愉快になるのですね。
どうにかしたいものです。
しかし、仏教では、阿頼耶識に過去のすべての経験、記憶等々が蓄積されていると説きますから、忘れることは不可能でしょうね。
忘れることができないからといって、悲しむことはないでしょう。
ちょっと工夫することで改善していきたいですね。
嫌なことを思い出した時に、その嫌な思い出がこれからの人生にとって価値があるならば、嫌であろうとその思い出を引き受けるべきでしょう。
嫌な思い出から教訓が導き出されるならば、それはそれで結構なことです。
ただ、ほとんどの嫌な思い出は、これからの人生に何らの価値をも生み出しません。
第六天の魔王の仕業といってもいいと思いますが、単なる嫌がらせで嫌なことを思い出させるのでしょうね。
この時に、嫌な思い出に苛まされるのではなく、第六天の魔王に対して、「この嫌な思い出は、何らの価値も生まないので、思い出す必要はない。いらないことをするな」と心の中で叱り飛ばすことですね。
所詮、自分自身の命の中での出来事ですから、声に出す必要はありません。
声に出すと単なる変質者になってしまいます。
嫌なことを思い出さないようにすることは難しいのですが、一旦、思い出された嫌なことに対して、適切に対処すれば、嫌な思い出に苛まされることがなくなり、いずれは、嫌なことを思い出すこともなくなるでしょう。
忘れることがなくても、思い出すことがなければ、事実上、忘れていることと同様ですから、常に、「今、この嫌なことを思い出す時ではない。嫌なことを思い出す必要もない」と心の中で念じることですね。
冷静に客観的に対応することにより、くだらない嫌な思い出に心をかき乱されることなく、生きていくことができます。
結局は、これから自分がしなければならないことをしていけばよいわけで、どうでもいい嫌なことが思い出された場合、「ああ、そうですか」という態度で、捨てておくことですね。
嫌な思い出こそ「断捨離」すべき対象ですね。