「世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし」(『日蓮大聖人御書全集』956頁)
身命を失うという大きな次元で述べられていますが、もう少し、身近なところで考えてみたいと思います。
身命とは、時間の集積と考えますと、身命を失うということは、時間を無駄に使うということになりましょう。
世間の浅き事、つまり、世の中のくだらない、つまらない、意味のない事柄に時間を費やすことを言っていると考えると分かりやすいでしょう。
しかし、大事の仏法、つまり、成仏するため、境涯をあげるために必要な事柄に関しては、時間を使わない。
これでは、当然のことながら、仏の境涯は得られないということを言っています。
よくよく考えると、つまらないこと、思い悩んでも仕方のないことに時間を取られ過ぎていたのかもしれませんね。
この点は深く反省し、人生にとって重要なことに専念したいものです。
身命は有限であり、時間も有限です。
つまらない人々のことを相手にする余裕は、実のところ、ほんの少しもありません。
あれもこれもといった散乱した状態を脱し、専一に自らを磨くことですね。
さまざまな邪魔が入りますが、その都度、テキパキと処理しながら、本来するべきことをすればよいですね。
世間の浅き事には、ほとんど時間を使わず、境涯をあげるに資することには、どんどん時間を使っていきたいですね。