「人は、仮説に合う事例(正事例)が正しいことを確かめようとはするが、仮説に合わない事例(負事例)についてはあまり気にしない。これを確証バイアス(confirmation bias)という」(日本認知心理学会編『認知心理学ハンドブック』有斐閣 198頁)
新宗教の活動に熱心になっている人を観察してみますと、その新宗教の良いところに合う事例については、熱心に語っていますが、その新宗教の悪いところについては、気にしないという次元を超え、考えることすら、また、その事例に触れることすら拒否するという態度になります。
「確証バイアスは論理的ではない」(同書 199頁)わけで、このような態度は、当然のことながら、論理的ではなく、間違った態度といえます。
こちらは用がないのですが、いきなり話しかけてきた新宗教の熱心な信者さんと話をした際も、まったく論理的ではなかったですね。
言っていることがコロコロ変わるので、話にならなかったですね。
「理屈ではないんです」などと言っていましたので、何を言うのかと聞いていますと、屁理屈を言い出しました。
確かに、理屈を言っていませんので、その通りなのですが、屁理屈を聞かされるとは驚きでした。
頭がいかれている人でしたね。
困ったものです。
一方、新宗教団体としては、この確証バイアスをうまく活用していますね。
新宗教団体に都合のよい情報のみを流し、都合の悪い情報は一切遮断するという手法です。
また、都合の悪い情報に接する時間を限りなく減らすために、新宗教の活動と称して、さまざまな活動を信者さんにさせます。
時間は有限であり、人は、確証バイアスに傾きがちですから、情報コントロールがどうにかうまくいくわけです。
ただし、この手法も、新宗教の活動をせず、「理論が反証されるような状況にその理論を多くさらす必要がある」(同書 同頁)と考える人には通用しません。
ほどなくして、その新宗教の悪い部分、都合の悪い部分がばれてしまいます。
そうはいっても、すべてが悪いというわけでもなく、良い部分は良い部分として評価すべきですね。
その新宗教団体の悪い部分ばかりに焦点をあてるだけならば、それも確証バイアスということになります。
バランスを取って、新宗教団体と接すれば、不必要なストレスもなく、快適な宗教ライフが送れるというものです。