「ほとんど全部の人間が、うわべの善行とか見せかけの栄誉に簡単に惑わされ、みずから望んで、あるいは気がつかないままに、すぐれたものよりは喰わせものにひきずられてしまうものだ」(『マキァヴェッリ全集』第2巻 永井三明訳 筑摩書房 42頁)
今までの人生を振り返った時に、このマキァヴェッリの言葉が胸に突き刺さります。
学生時代を思い返してみますと、「うわべの善行」や「見せかけの栄誉」によく騙されていたように思います。
正直なところ、どうでもいい人間と付き合っていたものです。
それも、「みずから望んで」という側面があったことが悔やまれます。
確かに、相手が喰わせものであり、くだらない人間であったにしても、当時は、そのことに気付いていないわけで、責任の所在は結局のところ、私にあるということになります。
「あるいは気がつかないままに」とあるように、何となく、集団の中で流されていた側面もあります。
自分の人生に軸を持ち、他に振り回されることなく、学生時代を送っていたならば、相当、違った人生となったことでありましょう。
しかし、所詮、これは仮定の話であり、現実は喰わせものに人生を引っ掻き回されていたわけです。
これはこれで、深く反省すべきことです。
反省することによって、これからの人生の糧にしたいと思うわけです。
それにしても、よくもまあ、喰わせものが多いものですね。
今から思い返すと、ほとんどの人間が喰わせものでありました。
一体、私は、何をしていたのでしょうか。
喰わせものでない人間も多いはずですから、私の行動に大きな欠陥があったということでしょう。
直感的には、「おかしいな」とは気付いていたのですが、「友人を大事にしなければならない」などというよく分からない教義らしきものに引っ張れられ、間違った行動をとっていたのですね。
自分自身を信じることなく、宗教もどきのものの考え方に染まるとろくなことがありません。
とにかく、喰わせものは相手にしないことですね。
そして、喰わせものでない人々との縁ができるよう、自分自身を磨いておくことですね。