芥川龍之介の「鼻」の一節を確認してみましょう。
「人間の心には互いに矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこつちで何となく物足りないやうな心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥れて見たいやうな気にさへなる。さうして何時の間にか、消極的ではあるが、或敵意をその人に対して抱くやうな事になる」
(『芥川龍之介全集』第一巻 岩波書店 166頁)
この芥川龍之介の「鼻」の一節を「です・ます」体で現代語訳してみました。
「人間の気持ちには、それぞれつじつまの合わない二つの感情があります。もちろん、誰でも他人が不幸になったことに同情しない人はいません。ところが、その不幸であった人がその不幸を、どうにかして乗り越えることができると、今度は、こちらとしては何となく物足りないような気持ちになるのです。少し、大げさにいうと、もう一度、その不幸を乗り越えた人を同じ不幸に落としてやりたいというような気持ちになります。そうして、いつの間にか、控えめな感じではあるけれども、憎しみの気持ちをその不幸を乗り越えた人に対して持つようなことになります」
また、翻案してみました。
「私は、不幸な人を助けてあげたいと思っています。そして、私は、その不幸な人を助けました。その人は、どうにか不幸を乗り越えました。そうすると、私は、物足りなくなるのです。私は「前はあんなに不幸であったのに、今は、いい暮らしをしている。おもしろくない」と感じるのです。私は、もう一度、その人が不幸になればいいのにと念じます。そして、改めて、その人を助けて、「なんて自分は素晴らしい人間なのだろう」と感じたいのです。しかし、それができないので、私は、その人が憎たらしくて仕方がないのです」
それなりに分かりやすくなったのではないでしょうか。