「日本の読者に対して私が望みたいことは、次の一事を措いてほかにない。即ち人が言葉によって考えるほかない以上、人は自らの思惟を拘束し、条件付けている言語空間の真の性質を知ることなしには、到底自由にものを考えることができない、という、至極簡明な原則がそれである」(江藤淳『閉された言語空間』文藝春秋 316頁)
太平洋戦争終結の後、アメリカの占領軍が日本に対して検閲をしていました。
もう、日本に占領軍はいませんし、検閲もしていませんが、マスコミをはじめ日本人自身が自主規制していますね。
検閲されていた状態が習い性となって今に至っています。
好ましくない状態ですね。
この頃は少しましになったかと思われるところもありますが、相変わらず、言葉狩りに熱心な人もおり、困ったものです。
言葉狩りをしている人は、その言葉が嫌なのでしょうが、自分で克服してもらうほかありませんね。
言葉を狩るということは、言葉でものを考えている人間に対して、思惟させないということを意味します。
人間を人間でなくす所業ともいえましょう。
自分にとって都合の悪いことは考えさせず、言葉そのものも抹殺しようと必死なわけですが、このような人の意見に合わせる必要はありませんね。
勝手に言わしておけばよいでしょう。
それこそ、放置しておくことです。
いちいち相手にしないことですね。
自由にものを考えることができないということは、人間にとって精神が死んでいることと同義でしょう。
とにかく、自由な言論空間を確保することが大切なことですね。
その自由な言論空間を脅かす人には、注意しておくことです。
悪い影響を受けないようにしておかなければなりません。
結局は、ひとりひとりが賢明になることですね。
安易な姿勢で生きていきますと、変な人に付け込まれますから、道徳的にどうのこうのというわけではなく、真摯な姿勢で生きていきたいものです。
そして、自由な言語空間を堅持するよう、できうる限りのことをしたいですね。
※書籍は、文庫版でご紹介しています。