「名高い言葉に、how to do good (如何に善を為すか)ということよりも、how to be good (如何に善であるか)ということの方が大事である、というのがありますが、人間の第一義は、何を為すかということではなくて、何であるかということである」(『安岡正篤一日一言』致知出版社 38頁)
よく、あれもしました、これもしましたと言って自分を大きく見せる人がいます。
確かに、したことを見てみると、それなりにいいことをしています。
それはそれでいいのですが、その本人が胡散臭い。
なぜなのか。
不思議に思っていましたが、how to do good (如何に善を為すか)なのか、how to be good (如何に善であるか)なのかの違いということですね。
一生懸命自慢している人は、do ではあるけれども、be ではなかったですね。
いくらいいことをしても、人間がみっともなく、心根が卑しければ、何にもならないということです。
存在そのものを善に持っていくのは、相当の修練を要します。
とりあえず、善を為すことは、さほど難しくありません。
簡単な方を選ぶのか、困難な方を選ぶのか、この違いがその人間の価値を決めるのかもしれませんね。
大変であっても、困難な方を選ぶ方が、長い目で見た時はいいでしょうね。
短期的には、簡単な方がいいでしょうが、表面だけ繕って善を為したとしても、意外とこのようなことは続きません。
そもそも、続けるということは困難なことですから、簡単な方を選ぶ人間にできることではありません。
せっかく善を為しても、存在が善でなければ意味がないわけですから、まずは、存在を善にすることですね。
その上で、善を為すと効果的でしょう。
順番を間違えないことですね。