これからの時代、どのような人材になるべきかというテーマで、いろいろビジネス書で論じられています。
英語力が必要だ、会計の知識が必要だ、コミュニケーション能力が必要だ、リーダーシップが必要だ、などといろいろ言われており、さまざまなスキルを身に付ける必要があると言われています。
確かに、スキルは必要であり、あったに越したことはないですね。
ただし、いくらスキルがあっても、それだけでは上手く行くとは思えません。
スキルは、ある一定の決まっていることをこなすには、威力を発揮します。
しかし、まったく想定していない事態に直面した時に必要となるのは、スキルそれ自体というよりも、その人それ自体の力といえるでしょう。
スキルそのものがいらないというわけではなく、身に付けているさまざまなスキルを総動員して、未知の事柄に対処する力が必要ということです。
この意味で、スキルが多い方が有利であることは確かです。
しかし、スキルが多ければそれでよいかというと、そうでもありません。
大切なのは、新しい対処法を自らが編み出すことです。
つまり、変化に対応できる人間になることが大事です。
人と話をする際、「あらかじめ話そうと決めている話題」、これが「スキル」に相当すると考えてみましょう。
このような「スキル」が多ければ多いほど、人と話をするとき、便利ではありますし、前もって話すことを決めているので、話をすることがなくなるという心配もありません。
しかし、実際に人と話をするとき、話そうと決めていることだけを話すわけにはいきません。
会話には相手がいるわけですから、その相手との言葉のキャッチボールの中で、思いもしない方向に話が流れることがあります。
そうした場合、「スキル」しかない場合、あっという間に話すことがなくなってしまいます。
準備していた話が使えないわけですからね。
ここで必要となるのは、話がどのような流れになろうとも、どのように変化しようとも、その流れ、変化に対応して話ができるという力です。
前もって準備していた話題の数、つまり、「スキル」の数よりも、その時、その時に瞬時に対応できる柔軟な会話力がなければなりません。
このような会話力は、取って付けたような感じの準備でどうにかなるようなものではありません。
その人の総合的な人間力で決まってしまうといえるでしょう。
その意味で、教養ということが重要と思われます。
すぐに役に立ちそうもないことの積み重ねが、このような会話力を付けると思われます。
話そうと決めていたことだけを話す人の話は、ぎこちないですね。
このような人は、相手の話を聞いていないものです。
相手が発した言葉に対応しない返答をしてしまいがちです。
そうしますと、相手としては、自分の話を聞いていないなと感じ取り、この人と話をしても仕方がないなと思い始めます。
結局、話は盛り上がらず、大した話にもならず、パッとしないまま話が終わってしまいます。
この場合、いくら「スキル」に相当する話題が多くても、何にもなりません。
まずは、話の流れ、話の変化に対応する力を付けることですね。
別に難しいことではありません。
相手の話していることを注意深く聞き、その話に対応する応答をすればよいだけです。
人の話をよく聞くという当たり前のことを行えば、その後に自分がどのような発言をすればよいかが分かります。
最初から上手く行くわけではありませんが、徐々に力を付けていけばよいでしょう。
このように考えてみますと、新宗教の信者さんの話が面白くない理由が分かります。
信者さんは、ある一定の決まったことしか話しません。
また、一定の思考パターンでしかものを考えていません。
所謂、流れ、変化、発展ということがありません。
それに、根本的な問題は、実は、人の話を聞いていないというところにあります。
これは、驚きですが、教祖に相当する人のスピーチとやらも、聞いているようで、聞いていないのですね。
私もその教祖に相当する人のスピーチとやらを一緒に聞いており、その上で、信者さんにその感想を聞いたところ、信者さんは、「は〜」という反応でしたからね。
「話の内容を覚えていません」とも言っていましたね。
自分が尊敬していると公言している人の話すら聞いていないのですから、その他の人々の話を聞くわけがありませんね。
結局、新宗教の信者さんが嫌われるのは、その新宗教がどうのこうのというよりも、その信者さんの人間力、会話力のなさ、つまり、人の話を聞かないという失礼、無礼な振る舞いにあるとみてよいでしょう。