「日本の行詰まりは意外に速く且だらしがなかった。その根本的な一原因は、戦後意外に速く復興し繁栄したのに気を好くして、世をあげて小のつく者がはびこったことである。小利口者、小才子、小ずるい輩から、小悪党など。然しこんな者のだめなことは今に始まったことではない。やはり、おっとりした、思慮あり、情ある、真面目で勤勉な、頼もしい人間でなければ人が好まない、信用しない。
これから日本人は心を入れかえて人間を修養し、生活を正し、事業を興さねば、益々危くなると思う」(『安岡正篤一日一言』致知出版社 29頁)
好ましい人間、信用に値する人間について、安岡正篤氏は、6つの条件をあげています。
この6つの条件が、ほぼ「六波羅蜜」に対応していると思われますので、まとめてみましょう。
「おっとりした」は、せかせかしていないわけですから「禅定」に該当しそうですね。
「思慮あり」は、そのまま「智慧」といえるでしょう。
「情ある」は、人に情けをかけるわけですから「布施」に相当しそうですね。
「真面目」は、実直な感じであり、戒律を持っている感じですから「持戒」でしょうね。
「勤勉」は、そのまま「精進」ですね。
「頼もしい」は、安心できる、崩れない、堂々としているという観点から「忍辱」といえるのではないかと思います。
今後の日本を考える上で、必要とされる人間は、「六波羅蜜」を身に付けた人間といえるでしょう。
その上で、安岡正篤氏は、4つの行動を促しています。
1 心を入れかえる。
2 人間を修養する。
3 生活を正す。
4 事業を興す。
ここで注目したいのは、「生活を正す」という点ですね。
人生といったところで生活の集積であるわけで、生活がいい加減では、人生もいい加減です。
日頃の行いがその人の人生を形作ります。
あれもしたい、これもしたいと考えても、生活に中にそのしたいことが組み込まれていない場合、いつまでたっても何もしないまま終わってしまいます。
例えば、本を読みたいと思ったにしても、生活の中に読書の時間を組み込まない限り、仕事だ、家事だ、テレビだ、人付き合いだと流されていくと、読書はできません。
また、宵っ張りの朝寝坊で生活のリズムが狂っている場合、読書どころではないでしょう。
適切な睡眠をとらないと脳も体も動きませんので、読書はできません。
「生活を正す」という、あまりにも基本的な、身近なことから変化をつけていくことでしょうね。
大きなことを言ってみたり、夢想してみたりしたところで、何も変わらないどころか、時間が経過するわけで、みっともなく老いていくだけです。
生活を正さないと悪く変化するわけで、ここは、どうしても生活を正す必要があります。
自分にとっての適切な睡眠を確保しますと、起きている時間が分かりますので、その時間内でできることを行うことです。
あれもこれもではなく、最重要事項から行っていくことですね。
読書をすると決めたならば、読書をすればよいでしょう。
間違っても睡眠時間を削って何かをしようとしないことです。
だらだらと残業している生産性のない人間と同じになってしまいます。
時間は限られており、有限であるという当たり前の事実を認識することが大切です。
宵っ張りになると、時間は無限であると勘違いしがちです。
しかし、翌朝、朝寝坊の睡眠不足で体も脳もフラフラになり、その日一日の多くの時間を無駄にしてしまいます。
実際に活用できている時間は、有限であるはずの時間よりも少ないという悪循環に陥ってしまうわけですね。
まずは、生活を正すことが重要ということですね。
そして、その生活に中に、自分がすべきことを組み込んでいくことですね。
生活の中に組み込めないことは、ただ単にできないことということです。
例えば、毎日行えることを、今日できない場合、それはいつまで経ってもできないでしょう。
1週間に1回行えることを、ここ1週間の内にできない場合、それはいつまで経ってもできないでしょう。
1カ月に1回行えることを、ここ1カ月の内に行えない場合、それはいつまで経ってもできないでしょう。
生活の中に組み込めない事柄は、その人の人生にとって存在しない事柄にしか過ぎません。
生活の中に組み込まれている事柄、それこそがその人の人生ということですね。
よって、無駄なもの、いらないもの、価値のないもの、悪影響を及ぼすもの等々は、排除することです。
そうしませんと、時間がいくらあっても足りません。
よくよく観察してみますと、無駄なことに時間を費やしているものです。
本当にこの人の相手をしてもいいものかと検討を加えると、ほとんど、「否」という答えが出ることに驚愕することでしょう。
意外とそんなものです。
限られた時間、有限な時間を価値的に使っていきたいものです。