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2014年01月26日

「教養ということ」〈対談〉小林秀雄・田中美知太郎

「教養ということ」と題した小林秀雄氏と田中美知太郎氏との対談がありますが、その中から小林秀雄氏の発言を見ていきましょう。

「ぼくら抽象的思索というようなことをよくいうが、文学の世界にいると、どうしても言葉で考えます。言葉が出てこなければ、なんにも出てきませんからね。だから言葉を探していてみつかると、先が開けてくる」(小林秀雄『読書について』中央公論新社 155頁)

ものを考えるときに何が必要かといえば、「言葉」ですね。

小林秀雄氏が言っているように、言葉がなければ、考えられないという以前に、何も出てこないようです。

所謂、「無」ですね。

何にもないということです。

日本人の場合、言葉とは、取りも直さず日本語ですが、日本語がないと考えることができません。

その日本語が豊潤であればあるほど、考えも豊潤になります。

その日本語が貧困であればあるほど、考えも貧困になります。

簡単なことですね。

考えるためには、何をすべきか。

日本語を勉強し、言葉を豊潤にすることですね。

国語辞典を活用するべきでしょう。

では、豊潤な言葉があるだけで考えることができるのか。

小林秀雄氏によると、そうではないようです。

「書いていくことと考えることがいっしょなんですよ。ぼくなんか書かなくちゃ絶対にわからない。考えられもしない」(同書 157頁)

書くという作業が必要ということですね。

確かに、ブログを書いていますと、大したことを書いているわけではなくとも、ものを考える契機にはなっていますね。

この言葉づかいでいいのだろうかと、国語辞典を引きますからね。

書くことと考えることとは不可分ということですから、ものを考えるためにも、ブログを書いていくことでしょう。

ブログを書くといっても、古典を読み、その古典を引用しながら書いているわけですが、古文、漢文は難しいとはいえ、その古文、漢文の味わいを大切にしたいと思っています。

確かに、現代語訳も大切ですが、まずは、原文そのものを重要視しているところ、小林秀雄氏の以下の発言を読み、意を強くしました。

「古典の現代訳をひじょうに無神経にやることなんかも間違いの根本ですね。姿があるのは造形美術だけではない。言葉にも姿がある。日本人ならかならず日本の言葉についての姿の感覚があるはずです」(同書 164頁)

古文、漢文そのものにも姿があるということです。

この姿を大切にし、この姿の感覚を研ぎ澄ますことが求められます。

言葉そのものも芸術ということですね。

意味を確認するための現代語訳は重要とはいえ、もっと大事なのは、原文そのものです。

古文、漢文の原文そのものを感じることですね。

ものを考えるだけでなく、ものを感じることも大切です。

考え、そして、感じる、このような姿勢を続けていくことが教養ということでしょう。

読書について

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