日蓮の著作の中で「守護国家論」という書があります。
初期日蓮の重要な書です。
それぞれの辞典で「守護国家論」の項目を確認してみましょう。
日蓮の書ですから、まずは、『日蓮辞典』(東京堂出版)から見てみましょう。
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守護国家論 しゅごこっかろん
一篇。日蓮著。真蹟一八紙半身延曾存(明治八年焼失)。写本平賀本土寺蔵。正元元年(一二五九)系年。鎌倉における著述。七門に分けて『選択集』を批判し、衆生の救済と国家の安泰は法華経の正法に帰すことにのみ期されることを明かす。本書をもって『立正安国論』の草稿とみる説もあるが、いずれにしても思想的に関わりをもつものと考えられている。思想的には法華・真言未分であるが、日蓮の浄土教批判の初期的段階を代表するものといえ、また日蓮の独自な国家観・国土観を表明していることからも、日蓮教学上重要な位置を占めるものである。
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では、『仏教辞典』第二版(岩波書店)での解説を見てみましょう。
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『守護国家論』しゅごこっかろん
『立正安国論』と並ぶ日蓮初期の代表的著作。成立は1259年(正元1)、38歳のときと推定される。法華経を最高の教えとする立場から、その信仰を廃れさせる元凶として法然の『選択本願念仏集』がきびしく批判される。同じく法然排撃を主題としながらも、念仏流行がもたらす社会的な悪影響を説く『立正安国論』に対し、『守護国家論』の方は法華至上主義の立場からの教理的な批判という色彩が強い。法華と真言をともに正法とする法華真言未分の思想や、この現実世界こそが浄土であるという立場からの西方浄土=穢土論など、注目すべき主張がみられる。また、守護すべき「国家」を支配権力ではなく国土と人民の意味で用いるなど、従来の護国思想とは異なる地平を切り開いている。真筆本は身延山久遠寺にあったが、明治期に火災で焼失した。
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最後に『仏教哲学大辞典』第三版(創価学会)の解説を見てみましょう。
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しゅごこっかろん【守護国家論】
正元元年(一二五九年)日蓮大聖人が三十八歳の時に著された。当時の打ち続く災難の根源は法然の選択集による謗法にあると、念仏を徹底的に打ち破られている。本抄に「予此の事を歎く間・一巻の書を造つて選択集謗法の縁起を顕わし名づけて守護国家論と号す、願わくば一切の道俗一時の世事を止めて永劫の善苗を種えよ、今経論を以て邪正を直す信謗は仏説に任せ敢て自義を存する事無かれ」(三七ページ)と述べられている。
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一番丁寧に解説されているのは、『仏教辞典』第二版(岩波書店)ですね。
『日蓮辞典』(東京堂出版)は、立正大学、身延山大学の方が執筆されており、日蓮宗の立場からの辞典ですね。
また、『仏教哲学大辞典』第三版(創価学会)は、創価学会の立場からの辞典ですね。
日蓮を祖師と仰ぐ、日蓮宗、創価学会の辞典よりも、宗派性のない『仏教辞典』第二版(岩波書店)の方が「守護国家論」について、みっちりと解説されているというのは、興味深いですね。
確かに、『日蓮辞典』(東京堂出版)もしっかり「守護国家論」について解説していますが、やや説明を省略した感がありますね。
欲を言えば、もう一歩突っ込んだ解説があればよいと思います。
『仏教哲学大辞典』第三版(創価学会)は、「守護国家論」についての解説が貧弱ですね。
半分以上が「守護国家論」からの引用で占められており、辞典としての役割が果たされていませんね。
第四版の準備をされているかどうは分かりませんが、改訂版においては、「守護国家論」の解説を充実させてほしいところです。
その他の項目においては、丁寧な解説がなされているいい辞典ですので、「守護国家論」の解説の貧弱さが際立ってしまいます。
いずれにしても、「守護国家論」は、日蓮の著作の中で重要な書であることは間違いありません。
「守護国家論」は「立正安国論」と同じ主題でありながら、分量は、「立正安国論」の約2.5倍あり、こと細やかに論じられています。
「立正安国論」が北条時頼に提出するための書であったためか、修辞に凝り過ぎている感があります。
また、法然批判、念仏批判をしているとはいえ、明確に法華経に帰依せよとの文言はありません。
「法華涅槃の経教は一代五時の肝心なり其の禁実に重し誰か帰仰せざらんや」(『日蓮大聖人御書全集』 29頁)とは言っていますが、やや明確さに欠けます。
別のところでは、「実乗の一善に帰せよ」(同書 32頁)と言っており、「法華経に帰せよ」との表現になっていません。
まわりくどい感じがしますね。
「立正安国論」は、外堀を埋めた感じの書ですね。
それに比べ、「守護国家論」は、
「法華・涅槃を信ぜよ」(同書 45頁)、
「法華涅槃に随う可し」(同書同頁)、
「末代に於て真実の善知識有り所謂法華涅槃是なり」(同書 66頁)、
「在世滅後の一切衆生の誠の善知識は法華経是なり」(同書 68頁)
「法華経に於て十界互具・久遠実成を顕わし了んぬ故に涅槃経は法華経の為に流通と成るなり」(同書 74頁)
「法華涅槃に違する人師に於ては用うべからず」(同書 76頁)等々、
法華経が重要であることを明確に論じています。
内堀を埋め、本丸に突入している感じがします。
法華経を信仰する身としては、明確に法華経の信仰について論じてもらった方がすっきりします。
また、「法華経修行の者の所住の処を浄土と思う可し何ぞ煩しく他処を求めんや」(同書 72頁)と言っており、今、ここにおいて、しっかりと信仰をするよう促しています。
他のところに行けば何かいいことがあるのではないかというフワフワした感覚を一刀両断されています。
分量的にも、内容的にも、信仰的にも「守護国家論」は、法華経修行の者にとって重要な書ですね。
じっくりと研鑽していきたいものです。
その際、必読文献となるは、実は、法然の「選択本願念仏集」ですね。
日蓮が法然の「選択本願念仏集」のどこをどのように批判したかを確認する必要があります。
また、日蓮が法然をどのようにして超えようとしたかを追体験することによって、確固とした信仰者になるものと思われます。
ただ単に信仰していればよいという姿勢では、法華経・日蓮の奥深さを感じることはできません。