『政治学事典』(弘文堂)で「法華経」の項目を確認してみましょう。
------------------------------------------------------------
▊法華経 [梵] Saddharma-puṇḍarīka-sūtra
『法華経』は、初期大乗経典の代表的なものであり、インドにおいて紀元前1世紀から紀元後2世紀頃までに成立したと推定される。『法華経』には3種の漢訳が現存するが、鳩摩羅什(くまらじゅう)訳『妙法蓮華経』(406年訳)が最も流行した。
『法華経』方便品は、釈尊はすべての衆生を平等に成仏させるためにこの世に出現したことを明らかにする。そして、声聞、縁覚、菩薩という3種類の修行者のための3種類の教え(三乗)は方便の教えであり、真実には、一切衆生が平等に成仏できる唯一の仏乗があることを明らかにする。また、如来寿量品は、歴史に現われた釈尊は衆生を救済するために出現したものであり、その本質は永遠の存在であることを明らかにする。
なお、『法華経』の観世音菩薩普門品は、独立単行されて『観音経』と呼ばれ、東アジアの仏教圏で最も流行した経典となった。
日本における『法華経』と政治の関係について特筆すべき事象として、
(1)聖徳太子(574〜622)が『法華義疏』(ほっけぎしょ)を執筆したと伝えられること(真偽未決)、
(2)734年の11月の太政官符では、僧侶の資格として、『法華経』または『金光明最勝王経』の暗誦が義務づけられたこと、
(3)国分尼寺が「法華滅罪之寺」と呼ばれ、尼10名を置いて、『法華経』を読誦させ、滅罪懺悔(めつざいざんげ)を祈願させたこと、
(4)『法華経』に直接、護国の思想はないものの、『金光明最勝王経』『仁王護国般若波羅蜜経』とともに、護国三部経典の1つとして権威を与えられていったこと、
(5)聖武天皇以来、天皇や高位の貴族による『法華経』の写経、また彼らのための講経が盛んになったこと、
(6)最澄(767〜822)が『法華経』を中心として鎮護国家の仏教を確立したこと、
(7)日蓮(1222〜82)の『立正安国論』は、現実の世界に仏国土を建設することを目標としたこと、
(8)16世紀の京都において、日蓮宗が強大な勢力を持ち、一種の宗教王国を形成しつつあったが、それに危機感を抱いた比叡山の天台宗が日蓮宗に壊滅的打撃を与えたこと(天文法華の乱)、
(9)豊臣秀吉の主催する千僧供養に招待された日蓮宗の妙覚寺日奥は、信仰を異にする者からの布施は受けないとする宗教上の理由によって出席を拒否し、その後、不受不施派は禁教処分を受けたこと、
(10)戦後、法華系新宗教(創価学会・立正佼成会・霊友会)が強大な勢力を持ち、新政党を作ったり、既成政党の推薦母胎、支援団体となったりなどして、政治に一定の影響をあたえたこと
などが注目される。⦿菅野博史
------------------------------------------------------------
「法華経」も項目のひとつとして入れている『政治学事典』は、なかなかの優れた事典ですね。
まずは、方便品と如来寿量品との内容が説明されています。
なぜ、28品ある内の、方便品と如来寿量品なのか。
日蓮の著述を確認してみましょう。
「法華経は何れの品も先に申しつる様に愚かならねども殊に二十八品の中に勝れて・めでたきは方便品と寿量品にて侍り」(『日蓮大聖人御書全集』1201頁)
方便品は、迹門を代表する品であり、如来寿量品は、本門を代表する品ですね。
実際に法華経を通読すると分かりますが、内容の面で方便品と如来寿量品とは、傑出しています。
日蓮宗各派や各新宗教において、勤行を行いますが、方便品と如来寿量品とは必ず含まれていますね。
「法華経」の大枠を示した後は、政治との関わりについての説明があります。
日本の政治を考えたとき、仏教経典を抜きにして分析することは、画竜点睛を欠くといえるでしょう。
そのことから、『政治学事典』では、「法華経」を入れているわけですね。
「法華経」と政治との関係について、10個の項目が並んでいますが、改めて、見てみると、「法華経」がいかに日本の政治に深く関わっているかがよく分かります。
古代から現代に至るまで、日本は「法華経」とともにあったとことが窺われます。
他の経典も日本、また、日本人に多大な影響を与えてきましたが、「法華経」ほどの影響力のある経典はありません。
「法華経」の力強さを再認識した次第です。
当然のことながら、「法華経」ですから、日蓮が登場します。
また、新宗教も出てきます。
「法華経」は、日蓮と新宗教とを外しては論じられないようですね。
歴史に、「もし」はありませんが、もし、日蓮がいなかったら、我々と「法華経」との接点があったかどうか。
ない可能性が高いですね。
もし、新宗教がなかったら、我々は「法華経」と深く接することがあったかどうか。
ひとつの古典として「法華経」の名前を知っているだけで、勤行や読誦、研鑽というところまでには至らなかったでしょう。
やはり、日蓮と新宗教とが「法華経」を多くの人に届けたといえるでしょう。
ただ、「法華経」の可能性が十二分に開かれているかというと、まだまだという気がします。
まさに「法華経」は、これからの経典と思われます。
実際、日蓮宗各派や各新宗教の人々が「法華経」と接していますが、28品全部を読むというわけでもなく、読誦はしても意味を確認するということもない場合が多いですね。
「法華経」の一部分に接しているだけであり、内容を深めるという観点が薄いようです。
これでは、「法華経」の可能性が開かれるとは思われません。
字が読めない時代ではないわけですから、遠慮せず、どんどん「法華経」を読んでいただき、研鑽していただきたいと思います。
そして、「法華経」を自分のものにしていただきたいですね。