仏教でいう、貪、瞋、癡という生命状態があるのですね。
それも貪、瞋、癡、がセットになっていることが多いものです。
この貪、瞋、癡は、それぞれ、十界論の三悪道(地獄界、餓鬼界、畜生界)と対応しています。
関係する御文を拝してみましょう。
「飢渇・疫病・合戦なり、飢渇は大貪よりをこり・やくびやうは・ぐちよりをこり・合戦は瞋恚よりをこる」(『日蓮大聖人御書全集』1064頁)
対応関係をまとめてみましょう。
瞋 地獄界 合戦 瞋恚
貪 餓鬼界 飢渇 大貪
癡 畜生界 疫病 ぐち
この中に地獄界の状態として「合戦」とありますが、簡単に言うと「殺し合い」ということですね。最低の境涯をあらわしています。
また、貪りの生命であるが故に、飢渇するのが餓鬼界ですね。
愚かで愚癡だらけの人間は、物事の道理が分からないため、病気を発症するようです。
先程あげた不愉快な人、気分を害する人、卑しい人を観察すると、瞋りの感情をあらわにして、嫌な空気を作り出しています。
近くにいるだけで気分が悪くなります。
所謂、地獄界の生命が出ていますね。
それと、あれもこれもと分不相応な要求をしがちです。
ケチな割には強欲です。
飢えているのでしょうね。
しかし、餓鬼界ですから、その要求が満たされるわけではなく、いつまでたっても、飢えたままです。
そのため、より一層、瞋りを増幅し、より深く地獄界に沈んでいきます。
そもそも、言っていることも、よく聞くと道理に合っておらず、畜生界がよく出ています。
出てくるのは愚癡ばかりといった感じです。
この地獄界、餓鬼界、畜生界の生命が混然一体となったのが、不愉快な人、気分を害する人、卑しい人です。
不思議なまでに、絶妙なまでに、この三悪道(地獄界、餓鬼界、畜生界)がパッケージされています。
変な人を分析すると、だいたい、三悪道です。
では、このような三悪道にどう対処すべきでしょうか。
まず、気を付けなければならないのは、十界論での人界と区別することですね。
人界は、通常の人間の精神状態です。
普通の状態といってもよいでしょう。
いくら相手が人間の姿であっても、すべての人間が人界の生命状態とは限りません。
普通でない三悪道の生命状態の人間も多いものです。
くれぐれも三悪道を普通と考えてはいけません。
異常な状態なのが三悪道ですから、危険物を取り扱うように細心の注意が必要です。
まともに相手をしないことです。
真に受けないことです。
ああ、この人は三悪道なのだなと見抜いたならば、一定の距離を保ちながら、危害を加えられないよう、身を守ることです。
いくら、三悪道が無作法な振る舞いをしてきても、決して三悪道に対して瞋ってはいけません。
同じ地獄界に陥ってしまいます。
また、三悪道に慎みの心、一歩下がる姿勢を求めてはいけません。
強欲(餓鬼界)ですから、要求しかしません。
そして、三悪道に、冷静さ、聡明さ、理解力を求めてはいけません。
そんなものは、愚か者(畜生界)ですからありません。
三悪道は、気が違っているわけで、病気と考えておけばよいでしょう。
そうしますと、おのずと、どのように対処すればよいかが分かります。
相手に合わせないということになるでしょう。
つまり、瞋らず、貪らず、癡にならず、ということですね。
自分自身は、三悪道に振り回されるのではなく、あくまで仏界を基調としながら、その三悪道を制御するほどでなくてはなりません。
三悪道は、ある意味、分かりやすいわけですが、地獄界、餓鬼界はさほど見られないが、畜生界がよくあらわられている人がいます。
瞋っているわけでもなく、貪っているわけでもないけれども、とにかく愚か者という人がいます。
貪、瞋、癡、がセットになっていませんが、このような人にも気を付けておくことです。
やはり、三悪道にひとつである畜生界ですから、我々に悪影響を及ぼします。
いずれにしても、地獄界、餓鬼界、畜生界の生命状態の人に気を付けると共に、自分自身も三悪道の生命状態にならないよう注意しておくことですね。
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