鈴木眞哉『〈負け組〉の戦国史』平凡社の「宗教勢力」の項目は興味深いですね。
少しく見てみましょうか。
本願寺は信長と講和するも大坂の本山を明け渡し。
比叡山延暦寺は信長によって焼き討ちに遭い壊滅。
新義真言宗本山根来寺は秀吉によって壊滅。
高野山金剛峰寺は信長と交戦状態にあり本能寺の変で助かるも、秀吉に対しては戦わずして屈服。
「これらの勢力は、いずれも純粋な宗教団体だったわけではなく、領地を持ったり、私兵を抱えたりした世俗的な存在でもあった。その意味では、通常の戦国大名と異なるものではない。宗教的な権威を背負っている分、より始末が悪かったともいえる」(同書 69頁)
信長、秀吉からすれば、宗教勢力は脅威だったのでしょうね。命がけで戦っています。大変そうですね。
なお、イエズス会は、信長からは厚遇、秀吉からは弾圧、徳川幕府からは禁教令となっていたようですね。
戦国時代の宗教勢力を見て分かる通り、宗教は、政治にも経済にも社会にも影響を与えていくものです。
その宗教団体が政治的、経済的、社会的に力を持つことは当然のことで、不思議なことではありません。
宗教と政治とは切っても切れない関係にありますね。
このことで思い出したのは、「タイム」誌のことですね。
「タイム」誌は、年1回、世界に影響を与えた100人を選んでいます。
10年ほど前になりますが、ローマ教皇のヨハネ・パウロ2世も選ばれていました。
ただ、宗教系の分野では選ばれていませんでした。
ブッシュ大統領と一緒の政治系、権力系の分野で選ばれていました。
ローマ教皇クラスになると、宗教という枠を超え、政治的な影響力のある人物、権力のある人物とみなされるわけですね。
西洋人がローマ教皇をどのように捉えているかがよく分かります。
日本人とは発想が違いますね。
本書のあとがきに「十八歳のときに、どういう大学に入ったかによって、その後の勝ち負けがほぼ決まってしまうのだから、役人の世界というのは、戦国時代よりも、はるかにきびしいところがある」とありますが、なかなか面白い指摘ですね。
よしんば東大に入り、官僚になったにしても、その後も選抜の連続で、最終的に勝ち残るのは事務次官になった一人だけというわけですから、厳し過ぎますね。
人生そのものがトーナメントです。
よく、官僚を辞めて、選挙に出る人がいますが、ポストがなく、行くところがないので、やむなく立候補というのが実情でしょう。
なかば、やけくそかもしれませんね。
官僚になる人は、常にトーナメントをする生き方をしないと落ち着かないのかもしれません。
戦ってばかりですね。
そして、ほとんどの人が負けていくという戦国時代以上の人生です。
嫉妬の渦の中で生きていく人が多いのも頷けます。