「二流の人は過去に生きる傾向がある。
一流の人は現在に生きることを信条とし、明るい未来を夢見る」(スティーブ・シーボルド『一流の人に学ぶ自分の磨き方』弓場隆訳 かんき出版 60頁)
最近、過去にこだわってしまう傾向があり、好ましくないと思っておりましたが、やはり、好ましくなかったのですね。
二流なのですから。
確かに、過去を振り返ることは大事なことです。
現在の自分のあり様を確認するためには、過去を確認しなければなりません。
しかし、過去は、所詮、過去であり、過去の事実を変えることはできません。
あくまでも確認するにとどめておくべきですね。
歴史の解釈と同様、自分自身の過去も解釈次第でいかようにも変化するという側面があるにしても、やはり、いいように解釈するのにも限界があります。
単なる解釈だけでは過去は変わりません。
「不幸なことに、二流の人の意識は過去に呪縛されていることが多い。『もしあのときこうしていたら、きっと成功していたのに残念だ』『もしあれがうまくいっていたら、幸せになれたはずだが、今となってはもう遅い』といった調子だ」(同書同頁)
どのような状態であれ、過去に呪縛されていることが問題でしょうね。
歴史に「もし」がないように、自分の過去にも「もし」は不必要と考えておくべきですね。
過去に呪縛され、後悔するのは、あまりにも非生産的であり、疲れるだけです。
反省するのも結構ですが、後悔と同じように、これといって生産的ではありません。
やはり、疲れます。結局、何にもならないということが多いですね。
最近、異常に疲れておりましたが、過去にこだわり、過去の呪縛に苛まされていたからでしょう。
頻繁に過去の出来事が脳裏に浮かんできていました。
それも、嫌な、苦しい思い出ばかりです。
何かがあるのかもしれませんが、程度というものがあります。
過去は過去として、「ああ、そうですか」といった態度であっさり対処するのがよさそうです。
もっと言えば、後悔、反省などしている暇があったら、現在に生きるべきでしょう。
また、未来に向かって生きるべきでしょう。
現在、未来は、これからいかようにも形作っていくことができます。
不思議なことに、現在、未来を志向すると、嫌な気分も晴れ、苦しくもなくなり、疲れはなくなります。
方向性が過去であれば、嫌な気分になり、苦しくなり、疲れるということでしょうね。
ある意味、厚かましく生きるというのもありでしょう。
否、厚かましくあるべきなのかもしれません。
特段、人に迷惑をかけるわけでもない人間にとっては、適度に厚かましいというのは、生きる上で必須のスキルといえます。
過去の呪縛に疲れ果ててしまいました。
もう、過去などどうでもよくなりました。
何をするにしても、もう遅いなどという戯言を排していきたいですね。
全然、遅くはありませんよといった気持ちでいたいものです。
今後は、現在に生き、未来に射程を定め、価値のある人生になるような精進、修練、研鑽をしていきたいと思います。