志村喬、笠智衆という二人の名優について、高倉健さんは、以下のように綴られています。
「志村さんも笠さんも、お二人とも実際にお会いして、名優の佇まいを肌で感じ取ることができた。個性的な風情と品格をお持ちだった。名優というのは表面的な演技ではなく、生き方から醸し出される深み、渋み、哀しみが画面に滲み出る方のことだと感銘を受けた」(『高倉健 想〜sou〜 俳優生活五〇年』集英社 124頁)
「佇まい」という言葉には、何とも言えない雰囲気が感じられます。
そこに存在するだけで、もう、それでよい、という感じを与えます。
存在そのものが素晴らしく、尊く、価値があるといった感じです。
そして、スマートさをも感じさせます。
名優だけでなく、人間は、「佇まい」を持つべきだろうと思います。
もちろん、一朝一夕にどうにかなるものではありませんが、生涯をかけて、この「佇まい」を体現したいものです。
その上で、「佇まい」に基づいて、何とも言えないものを醸し出し、何とも言えないものが滲み出るという人間になりたいものです。
ある意味、名優の仕事とは、我々に「佇まい」「醸し出す」「滲み出る」というものを明らかに示すことなのかもしれません。
役というのは、ひとつのモデルケースであり、役を演じながら、具体的に「佇まい」というものを見せてくれているのでしょうね。
確かに、「佇まい」といっても、言葉だけでは分かりにくいものです。
そこを名優は自分自身の姿をもって観客に示すのですね。
なかなか大変な仕事です。
天から選ばれた人しかできないことともいえましょう。
高倉健さんは、若いころ、巨匠の内田吐夢監督から
「時間があったら活字(本)を読め。活字を読まないと顔が成長しない。顔を見れば、そいつが活字を読んでいるかどうか分かる」(同書 108頁)
とのアドバイスを受けたそうです。
厳しいアドバイスですね。
顔に出るならごまかしようがありません。
「佇まい」を体現するためには、読書も欠かせません。
いくら「佇まい」といっても、顔がへんてこりんでは、話になりませんものね。
読書から得たものが、醸し出され、滲み出る、そのような人間になりたいですし、なるべきですね。