いつも、怒った状態では身が持ちません。
しかし、怒ってしまう。
さて、どのように対処すればよいのでしょうか。
日蓮の「兄弟鈔」からヒントを得たいと思います。
「設ひいかなるわづらはしき事ありとも夢になして、只法華経の事のみさはぐらせ給べし」(『日蓮聖人遺文』第1巻 933頁)
確かに、鬱陶しいことは多いのですが、鬱陶しくても、面倒なこと、不機嫌になることがあっても、いちいち、思い悩むのではなく、夢にしてしまい、気にしないことだと言っています。
また、鬱陶しいことは気にしなくても、人生にとって重要なこと、就中、法華経のことを気にかけ、思索していきなさいと言います。
法華経とは、経典ではあるわけですが、ただただ、経典を崇めるというのではなく、法華経の内容である自身の中に仏があるということに思いを馳せ、その仏の生命を磨くことが「法華経の事のみさはぐらせ給べし」なのだと思われます。
経典そのものが大事であるにしても、もっと大事なのは、その経典の内容、本質ですからね。
鬱陶しいこととは、実のところ、どうでもいいことの集積です。
そのようなことに時間を使うのではなく、一番の重要事である自分自身の生命を大切にしながら、その生命を磨くことに専念することですね。
この観点からすれば、どうでもいいことに時間を使う愚に気付かされます。
日蓮の生涯には、煩わしいことがたくさん起こりました。
しかし、日蓮は、法華経第一の信念が揺らぐことなく、専一に自身の生命を磨いた人物です。
我々も、及ばずながら、日蓮の如く、精進していきたいものです。
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