「自分の立場からの視点が持つ限界を超えることの必要性は、道徳哲学、政治哲学と法学において重要である。自分の立場から自由になるのは、常に簡単に行なえるわけではない。しかし、それは、倫理的政治的法学的思考がやらなければならない挑戦である」(アマルティア・セン『正義のアイデア』池本幸生訳 明石書店 236頁)
自分の立場から物事を考えて、相手方、反対側の人を安易に非難することがありますが、相手方、反対側の人の立場に立って物事を考えた場合、自分自身の考えが決して正しいと言い切れないものであることに気付きます。
相手方、反対側の人の意見、考え方にも十分な論拠があり、一刀両断できるわけではありません。
ただ単に立場が違うだけということが多いものです。
めぐりあわせによって、自分がどの立場になるかなど流動的であり、現段階での立場に固執することは価値的ではありません。
さまざまな立場から物事を見る癖を付けておく必要があるでしょう。
道徳的な事柄においても、人それぞれの道徳観があり、自分の道徳観を押し付けることはみっともないことといえるでしょう。
自分の立場だけでなく相手の立場をも包含して止揚(アウフヘーベン)する態度が本来的な道徳的態度といえます。
また、政治的なことに関しても、説得はあるにしろ、強制はなじまないと思われます。
民主主義の場合、最終的には多数決ですが、説得作業をした上での多数決決定という形が妥当でしょう。
違いがあるのが当たり前であり、その上で物事を決定するという大変な決断が政治であると認識しておく必要があるでしょう。
法的なことにおいても、自分が権利を主張する論拠を持っているのと同じように相手も権利を主張する論拠を持っており、それぞれに一理ありという事案がほとんどです。
それ故、当事者間でそれぞれの論拠を照らし合わせて妥当な結論を導き、それぞれ譲るところは譲り和解して解決するということが多いですね。
しかし、和解に至らない場合、最終的には、裁判所にて解決するほかありませんが、裁判所においては、双方の論拠を精査するという手続きが整っており、勝ち負けがあるにしても、一方的にならないよう制度的な工夫がなされています。
ただ、運用する人間によって、いい加減になってしまう場合もありますが、それはそれで別途改善するほかないでしょう。
まずは、相手の立場から物事を見て、自分の立場を改めて見つめ直すという作業を行えば、より一層、適切な考えを得ることができます。
相手の立場から物事を見るというのは、相手のためというよりは、むしろ、自分のためといえます。
自分の立場を強固にして自分の思い通りにすることが自由なのではなく、自分の立場から自由になるというのが本当の自由といえるでしょう。
凝り固まった状態は自由から程遠く、柔軟性がある状態が自由というにふさわしいですね。