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2012年02月26日

親の愛情による絶対的な肯定観

親の恩というものを感じるのは、親がいなくなってからという場合が多いかもしれませんが、親の存命中に親の恩を感じておくことは人間として重要であると思います。

しかし、日常生活の中において、親の恩を認識することは困難です。

ただ、エッセイ等の文章に接した時、気付かされることがあります。

「父との思い出はさまざまなものが複雑にもつれ合って、ひとことで言い表わすことなど出来はしないのだが、私を溺愛し、どんな人間でもいい、ただ大きくなって欲しいと念じつづけてくれた人がこの世にあったということを、筆舌に尽くしがたい感謝の念で思い起こすのである」(『宮本輝全集』第14巻 新潮社 172頁)

通常の親は、子供を溺愛するものです。

また、子供を愛している場合、元気で生きていてくれさえすればよいと念じ続けるものです。

このような親の愛情に対して、子供としては、言葉で感謝を表すことは不可能であり、ただただ感謝の念で親を思い起こすことしかできません。

身勝手な親になると、自分が満足するために子供にいろいろと押し付けます。

子供の成長、出世等々は、すべて自分の欲望を満たす材料にしか過ぎず、子供が自分の思い通りの生き方をしない場合、怒りにまかせて子供に当たり散らすということになります。

一定数、みっともない親が存在しますので、このような親にあたってしまった子供は、端的に言って不幸です。

一方、宮本輝氏の父は、子供が元気で生きていってくれればよいと念じ続ける親であり、宮本輝氏は、その父が今この世にいなくても、「この世にあったということ」に大きな意味を付与しています。

自分を溺愛してくれた父がこの世に存在していたということは、自分自身に対する絶対的な肯定観を感じることに繋がります。

生きていく上で必要なのは、自分で自分を肯定できる感覚であり、それは親から譲り受けるものといってもよいでしょう。

親からの愛情は、生きていくためにどうしても必要なものであり、親の愛情を受けた人間は、どんなに苦しくても生き抜いていく活力が出てきます。

親子関係の勘所はこの一点にあるといってよいでしょう。

財産、地位、名誉等々は付随的なものです。

親は子供に対し溺愛というほどの愛情をもって接し、子供は親に対し筆舌に尽くしがたい感謝の念で接していくことが肝要です。

世の人間関係で密接な関係は、親子関係ぐらいのものといえます。

夫婦関係、友人関係も確かに大切ですが、所詮、他人と他人です。

夫婦など書面一つで他人と他人に戻りますし、友人はどこまで行っても他人と他人です。

ましてや、職場や学校等々の人間関係など、赤の他人と赤の他人にしか過ぎません。

親を大事にし、子供を大事にしてから、その次の人間関係がはじまるという感覚を持っておきたいですね。

一番大切なところを蔑にしては、よりよき人生は歩めません。

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