先日は、ロジカルシンキングにおける思考方法について考えてみましたが、安岡正篤氏にも同様な言葉があります。
「私は物事を、特に難しい問題を考えるときには、いつも三つの原則に依る様に努めている。
第一は、目先に捉われないで、出来るだけ長い目で見ること、
第二は、物事の一面に捉われないで、出来るだけ多面的に、出来得れば全面的に見ること、
第三に何事によらず枝葉末節に捉われず、根本的に考える
ということである」(『安岡正篤一日一言』致知出版社 111頁)
長期的に物事を見るということは、大きく物事を捉えるということですから、フレームワーク思考に近いといえます。
多面的に物事を見るということは、複数の見方をすることですから、オプション思考に近いといえます。
根本的に物事を見るということは、根源的なところにまでさかのぼることですから、ゼロベース思考に近いといえます。
安岡正篤氏の指摘は、ロジカルシンキングそのものだったわけですね。
「目先だけで見たり、一面的に考えたり、枝葉末節からだけで見るのと、長期的、多面的、根本的に考えるというのとでは大変な違いがある。物事によっては、その結論が全く正反対ということになることが少なくない。
我々は難しい問題にぶつかる度に此の心掛を忘れてはならぬ」(同書 同頁)
この思考の三原則によって、長期的、多面的、根本的に物事を考えると、誤った判断はそうそうできないでしょう。
しかし、目先、一面的、枝葉末節で物事を考えると、ほとんど間違ってしまい、不適切な判断の連続となるでしょう。
人を見る場合、目先で見てしまうと、一時期、華々しく活躍している人を重んじてしまいがちですが、長い目で見ると大したことがない人であったと後で分かることがあります。
当初から長い目で人を見なければなりません。
また、人の一面だけを見て、良し悪しを決めつけることも戒めなければなりません。
いい人だと思っていても、とてつもなく悪い側面もあり、反対に、悪い人だと思っていても、とても良い側面がある場合があります。
中途半端な偏見は価値を生まないといえましょう。
また、人を観察する際、その人の表面的な枝葉末節にこだわらず、その人の根本、本質といった内面、軸というところに注目することが大切です。
表面はいかようにも取り繕うことができますが、根本的なところ、本質の面においては、取り繕うことができません。
一見しただけでは、その人の本質は分かりませんが、じっくりと観察すると見えてくるものです。
このことは自分自身にもあてはまります。
長期的、多面的、根本的に自らを見つめ直したいですね。