2019年12月22日
吉田重俊
吉田 重俊(よしだ しげとし)
戦国時代の武将。長宗我部氏の家臣。
時代
戦国時代
生誕
明応7年(1498年)?
死没
元亀元年(1570年)?
別名
通称:大備後
官位
備後守
主君
長宗我部国親→元親
氏族
土佐吉田氏
父母
父:吉田則弘
兄弟
孝頼、重俊、
子
吉田重康、江村親家
出自
土佐国の国人である土佐吉田氏は、藤原北家秀郷流の末裔を称する山内首藤氏の支流。山内首藤俊通の子・俊宗が足利尊氏に従い、功を上げ土佐に所領を得たことを始まりとする。
生涯
編集
長宗我部国親・元親の2代にわたって仕えた。智勇に優れ、国親の大津城攻撃では長宗我部軍の先手として活躍する。弘治4年/永禄元年(1558年)に上夜須城主に任ぜられる。永禄12年(1569年)から始まる安芸国虎討伐戦においては、一族の吉田孝俊と共に奇計によって安芸軍を敗走させ、籠城した安芸軍を計略を以って内部崩壊に導いた。
夜須川の(海津見神社)に、孫・孝俊(中富川の戦いで討死。)奉造造立の棟札が残る。
曽孫・康俊は長宗我部氏改易の後、大坂に移住。後に松平家に仕えて姫路に移る。
戦国時代の武将。長宗我部氏の家臣。
時代
戦国時代
生誕
明応7年(1498年)?
死没
元亀元年(1570年)?
別名
通称:大備後
官位
備後守
主君
長宗我部国親→元親
氏族
土佐吉田氏
父母
父:吉田則弘
兄弟
孝頼、重俊、
子
吉田重康、江村親家
出自
土佐国の国人である土佐吉田氏は、藤原北家秀郷流の末裔を称する山内首藤氏の支流。山内首藤俊通の子・俊宗が足利尊氏に従い、功を上げ土佐に所領を得たことを始まりとする。
生涯
編集
長宗我部国親・元親の2代にわたって仕えた。智勇に優れ、国親の大津城攻撃では長宗我部軍の先手として活躍する。弘治4年/永禄元年(1558年)に上夜須城主に任ぜられる。永禄12年(1569年)から始まる安芸国虎討伐戦においては、一族の吉田孝俊と共に奇計によって安芸軍を敗走させ、籠城した安芸軍を計略を以って内部崩壊に導いた。
夜須川の(海津見神社)に、孫・孝俊(中富川の戦いで討死。)奉造造立の棟札が残る。
曽孫・康俊は長宗我部氏改易の後、大坂に移住。後に松平家に仕えて姫路に移る。
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