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2019年12月22日

土佐吉田氏

土佐吉田氏(とさよしだし)
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丸三引き紋

歴史
吉田城は、南北朝時代に吉田氏によって築かれた。 吉田氏は、足利尊氏に従って戦功があり地頭職を得て吉田の地に築城した。

戦国時代、吉田孝頼(周孝)は、長宗我部兼序の妹を娶り、兼序の子国親に仕え、長宗我部氏再興に尽力し、永禄4年には井口城主となっている。
本姓
山内首藤氏
家祖
山内首藤俊宗
種別
武家
出身地
土佐国
主な根拠地
土佐国
著名な人物
吉田孝頼
吉田東洋


藤原秀郷流を称した山内首藤氏の一族である。山内首藤俊宗が足利尊氏に従い、功あって土佐国に領地を得たことが始まりである。山内首藤俊宗の弟・俊氏は後に山内氏を名乗り、尾張国に住むようになる。この山内氏が、後に土佐の大名になる山内一豊の先祖である。

土佐に土着して、豪族となった後、吉田孝頼の時に長宗我部氏と姻戚となり、その重臣として活動する。一族は有能な人物が多く、長宗我部国親・元親・盛親の3代に仕えて、土佐の小豪族から四国統一の雄、そして大坂の陣の後に滅亡するまで常に主君の側にあり活躍した。長宗我部氏滅亡後、一族は離散した。

新たな土佐の主となった同族の山内氏に仕えた吉田正義、土佐で医師として活動した吉田政重、保科氏に仕えた吉田貞重、姫路で松平氏に仕えた吉田康俊らがいる。なお吉田正義の子孫に、幕末の土佐藩重鎮吉田東洋が出る。
祖は藤原鎌足に始まり藤原秀郷からと言われる。
助清の代に三河国に住み首藤を称するようになる。
その後義通の時に相模国鎌倉山内谷に住んだことにより山内とも称すようになる。

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