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2014年09月11日

中国の旅16

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なんだかんだで夕刻になった。
イスラム人街から出て、ぐるっと町を回ったが、たしいて記憶にも残らないほど慣れた町になっていた。西安とも今日でサヨナラか。本来ならば、ここからカザフスタンに行く予定だったが、寒さには勝てない。
予定通りに、英語使いの指定したレストランに行く。そのレストランは、同じ宿に泊まっていた日本人の言っていたレストランだと思いついた。
なぜなら、話ではレストランの前にWMCAがあった。と言っていたからだ。そのレストランでぼったくられたとも聞いていたので、レストランに入る前
で待っていた。レストランの従業員は自分に気付いたのだろう。何せ客はいないボッタクリの店なのだから。従業員が、中へどうぞ!と言っているので、NO!と断って、英語使いを待っていた。間も無く、英語使いがやってきた。片手にチケットを持っている。彼は俺に、このチケットだな?と言って、足代1000円を足してきた。
こいつの儲けは、これだけ?と思ったが、レストランで食べろと言う。
チケット代を払ったら、500円しか残らないから帰ると言ったら、炒飯とスープで出すから食べて行って欲しいと言い出した。それは、レストランとグルになってレストランでボッタくろうとしていてチケットの足代を安くしたのだろうと感じた。
俺がお腹はいっぱいだと言うと、俺の車で送るから、ご飯と車代で500円で言いと話してきた。
これはレストランの方が力を持っていて、奴は信頼がないんだと感じ、宿に戻ったら払うと話したら、それでいい。と言った。変な味の物を出してきたら、金も払う気がなかったが、西安に来て1番美味しかった飯かもしれない。まともな炒飯とスープを食べて宿に戻り、奴に金を支払った。
この町は意外と腐っているんだなー。と感じた。
次の日の朝、惜しみもなく西安をあとにした。


中国の旅15

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次の朝、宿のフロントに行って、成都までの電車チケットを買いたいと伝えると、一番最初に
西安で宿を紹介してくれた奴が出てきた。西安駅で電車チケットが買えない理由を教えて欲しいと
聞くと、「手に入らない。」しか教えてくれない。ここではここのルールしか通用しないのかと思い、
その男に手に入るか?と聞いたら、すぐに手に入るとの事。
明日の出発なのに手に入ると言うのは何とも不思議だった。夕方になったら持ってくるから、
ここのレストランまで来てくれ。と言う。
フロントで渡してくれればいいのに、前金じゃないみたいなので「まっいいか。」と思い、レストランで
待ち合わせをした。
日本人の彼も起きて来て、手に入るみたいだよ。と告げたら、「俺はチェックアウトして、違う所で買ってみる。」
と言う。相当、兵馬俑ツアーでの事が嫌だったのだろう。別れを告げて、自分は町へと出かけた。
西安の町も、そろそろ飽きて来たなと思いながら歩いていると、地図に「イスラム人街」と書いてあるのを
発見。これは、面白そうだな!西安は部分的にもイスラム圏にも入っているのか!と思いイスラム人街へ
向かった。
確かこの辺りのはずと思って歩いていると、普通でさえ陰気臭い裏道が、さらに暗く陰気臭くなってきた。
治安は大丈夫なのかな?と思っていると、頭に白い帽子を付けた人が増えてきた。まさしくテレビで見る
イスラム教の人達だ!ここのイスラム人街の人は陽気で気さくな人達ではなかった。
なんか暗くて、しかも漢民族の公安をよく見かける。なんだか物騒だが、ちょっと違う世界が見れたのには
感動した。街並みは中国だが、そこにイスラム教徒が住んでるみたいなだけなので、足早にイスラム人街
から離れた。


中国の旅14

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西安と言えば、唯一の観光スポットの兵馬俑がある。上海では外灘、豫円など、北京では万里の長城など言ったが、兵馬俑になぜか興味が湧かなかった。写真で見ても行きたいと言う衝動にかられなかったからだ。
泊まっている安宿が主催している兵馬俑ツアーにしつこく参加させられそうになったから拒否感が出て行きたくなかったのかもしれない。二泊もしていると周りのバックパッカーとも知り合いになってくる。自分と同じくらいの日本人男性がいたので、自然に会話するようになっていた。彼は自分より一日後に西安に着いたみたいで、着いた次の日には兵馬俑ツアーに行ったとの事であった。彼が言うには、相当酷いツアーだったとの事。最初に小さいワゴンで兵馬俑に向かって、現地に着いたと思ったら入館するチケットをワゴンの中で買わされたが、宿でツアーを申し込んだ時に購入するよう言われていると言ったが、運転手が怒鳴って買うように言ってきたので仕方ないので余計な一枚を買うハメになった。兵馬俑を見て帰れるのかと思ったら遠回りされて宝石屋に連れて行かれ、特に欲しい物もないので、すぐに出てきたらワゴンが出発するのは一時間後だと言われたらしく、その辺で待機していた。ようやく帰れると思ったら、夕食のレストランに連れて行かれて高い金額を払うはめになった。と言う内容のツアーだったらしい。彼は、この宿は金目的の従業員が絡んでいるから、明日にはチェックアウトして次の宿を探すと言っていた。西安自体が外人から金をぼったくるのが当たり前になっているのが垣間見る事がある。そんな事を話している時に、女の子2人がやってきた。あれ?日本人?と思って見ていると、敦煌から西安に戻ってきたと話す。西安は暖かい、敦煌は-20℃はある。と話していた。俺は今から目指す方向で、そんな寒いなら、この先の旅に支障をきたすと思い、予定を変えて南下するようにした。あとのルートは、その町に着いてから決めよう。と計画がなくなった今、ここにいても仕方ないと思い、日本人の彼と西安駅に向かって電車のチケットを買いに向かった。彼は北京。自分は成都。外人用のチケットカウンターに行って行き先の地図で指を刺しただけで、全部ないと言う。全部のチケットがない訳ない。では、次の日は?その次の日は?全部ないと言う。全く売る気がないのか本当にないのか分からないが、西安から出る事は出来ないのか?と不安に思ってきた。西安から長距離バスの旅になるのかと腹をくくるしかなかった。宿への帰り道に、彼が宿でチケットが売っていたと言う。俺は、またぼったくりの価格になっているんじゃないの?と返答したが、多少のぼったくり価格でも電車に乗りたい気分でもあった。安宿に戻り、電車のチケットはここで買えるのか?と聞いたら、買えると言う。どの町でも、どの日、電車のクラスまで選べると言う。駅では買えなかったのに、こんなボロ宿で買えるのかが不思議に思ったが、とりあえず成都までの硬いベッドのチケットが欲しいと告げたら、明日の朝に来てくれと言われた。その夜は彼と屋台で飲みながら西安の悪口を言いながら過ごした。


2014年09月10日

中国の旅13

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ふらっと入った西安の食堂。そこには、客がチラホラいたが、日本人の自分が目立つほどではなかった。メニューの漢字にも慣れていたので、牛肉炒めと包子(肉まん)を頼んだ。店員が包子はないと説明しているみたいだが、田舎訛りなのか全く聞き取れない。お互いに困っていると、厨房に肉炒めの注文をして、女性は店から出て行ってしまった。座って待っていると、肉炒めは出来て違う人が持ってきてくれたが、肉まんがこない。
そうしたら、女性店員が肉まんを持って帰ってきた。走ったらしく息が切れている。そして、お皿に肉まんをおいて、どうぞ☆と笑顔で置いてくれた^ ^
その瞬間、肉まんの売っている所まで走って買いに行ってくれたのが分かり、ありがとう!と言った。その店は土木作業員専用みたいで、お昼になった所からヘルメットを被った職人ばかりになった。食べ終わった自分は、女性店員の優しさに、お金を多く払って帰ろうとした。自分が理解出来なかった事に悔しくて腹もたった。しかし、女性店員は肉まんの料金も取らずに肉炒めだけのお金を取り、あとは戻してきた。こんな純粋な子に合ったのは中国に来てから初めてだった。そして、女性は一言、サンキュー。と知っている英語で自分を店から出した。
サービス以上の人情を感じた。外人が困っているのを見てられなかったのだろう。中国に来て、人の暖かさに触れたのが嬉しくてたまらなかった。
あの時の事は未だに忘れる事は出来ない。本当にありがとう!


中国の旅12

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西安の朝がきた。昨夜は常温ビールで酔って寝てしまった。地下の部屋なのに、一応は太陽の光が入る。
とりあえず、歯を磨いて顔を洗いに行こうと部屋を出た時に、従業員が椅子に座っていた。昨夜もチェックインした時も、買い物行く時も誰か1人は座っている。セキュリティーの為にいるのか、出掛けた隙を見て部屋の物を盗むのか分からない。荷物の中には貴重品は置いて行かない方がいいな。と感じた。しかし、汚いトイレ、洗面、シャワーだ。シャワー浴びても体が、より汚なくなりそうだ。早く西安の町を見たいので、朝早く出掛けた。
意外と道幅や車線が多くて整備された町だと感じた。町は変われど、やはり中国。車のクラクションや人の話し声の大きさや、ゴミが散乱。とりあえず、本当にバックパッカーが集まる安宿が工事で休みなのか確かめるため、歩いて向かってみた。高い塀に囲まれた西安の町は予想よりも大きかった。
ここがシルクロードの出発点でもあり、終着点でもあるのか?と思うと何かパッと来ない。仕事が少ないのか、自転車を置いて前かごに『電機』などを掲げた人達がたくさんいる。工事関係の仕事で仕事があれば、雇用されやすいように書いてあるのだろう。その日暮らしの人達が多く見受けられた。
それは、上海や北京よりも人数が桁違いに多かった。30分は歩いただろうか、地図を見る限りでは、この辺のはず。。。あっ、看板発見!と近づいてみたら、本当に工事中だった。
あの英語使いの言う通りだった。そこから、ぐるっと塀の中を周る形で歩いてみた。中心部が近づくにつれ近代的なビルも見えてきた。しかし日中でも冷える。デパートの中に入ってみたが、誰も売る気がないのか店員は座って話しているだけ。サービスなんて言葉を知らない国なんだな。とつくづく感じる。特に欲しい物もないし、100円ショップみたいな商品ばかりだ。近くの市場に行った方が面白そうだと思い市場へ向かった。市場は活気があり、臭いはきついが色んな物が売っている。欲しい物はないが、ちょっと除くと話し掛けられる。やはり生活がかかっているのだから必死に売ってくる。ふとお茶屋に目がいった。中国ではお湯は手に入りやすい。寒くなってきたし、お茶の葉でも買ってみるかと思い色々見てみたが何が何だか分からない。言われた物を買ってみるかと思い、おばちゃんに声を掛けて仕草で、どれがいいか聞いてみた。おばちゃんのチョイスで何個かピックアップしてくれた。値段を聞いて決めようと思ったが、どれも200円程度との事。結構な量が入っているのに安いなー。と思って迷っていたら、150円でいいよ!と言われた。こいつは見ているだけだと思われたのかもしれない。パッケージで決めるしかないので、一つ買ってみた。市場をぐるっと見渡したあとに市場を出たら、お腹が空いてきたので適当な店に入ってみた。
ちょうど良さそうな食堂があったので入ってみたら、若い女性が何にするか聞いてきた。メニューは漢字で書いてあるので慣れてきた。
この時、中国で初めてと言っていいほどのサービスを受けたのだった!


中国の旅11

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北京を出発して一日が過ぎた。今日の夕方には西安に着く。事前の情報によれば、西安駅で外人のバックパックが後ろから切られて中身を盗まれる事があると聞いていたので、バックパックは前にお腹で持つようにしようと決めていた。無事、電車でのトラブルもなく時間通りに西安に着いた。夕方なのに、まだ明るく感じたが駅構内は陰気臭く暗い。駅から出ると安宿の呼び込みが英語で話掛けてきたが無視をして、バックパッカーが集まる人気宿に向かって歩いた。それを察したのか、その宿は改装中で、今は営業してないぞ!と言ってきた。西安は昔からの町なので敵から攻められた時に町を守るための塀が町を囲んでいる。高さは20mほどはあるだろうか。かなり高い塀。その塀の下を歩いている時に聞かされた、安宿の改装中の話であった。嘘だろうと思い、簡単な礼を言いながら確認の為に改装中の宿に向かったが、シツコく付いてくる。恐らく宿に1人連れてきたらリベートが貰える仕組みになっているんだろう。駅から自分の目指している宿を実際に歩いたら30分以上はかかりそうだ。地図では縮小されているので近くに感じたが、これでは本当に改装中だったら、また宿探しに時間が掛かってしまう。その男に一泊いくらだ?と聞いてみた。30元(約500円)だと言う。部屋を見てから決めると半分心が折れて、その男の宿に向かった。歩いて5分も掛からなかったが、宿は地下にあり、ツインの部屋に通された。窓はあるが地下なので、ほとんど光は入って来ない。ベッドは比較的綺麗でテレビも付いている。シャワーとトイレが共同で古くて汚なかった。高いな、20元しか出せない。と言うと、2泊してくれるなら一日20元でいいと言う。このやりとりで時間を無駄にしてしまったので、外は暗くなる一本なので、オッケー!と返答した。
チェックインを済ませて部屋に入ると、急にお腹が空いて来たので、外に出て見た。西安駅に着いた時に感じたのだが、結構寒い。夜になると更に寒くなっていた。防寒着を取り出して、外に出たが全く分からないので、宿の場所を覚えて近くの屋台と店で、買い物をした。肉まん、水とビール。
これで今夜は過ごそう。部屋に戻り、肉まんを食べるが不味い。青菜の肉無しまんだった。ビールも相変わらず冷えてない常温ビールで、水っぽい。店の人が冷たいビールなんて飲んだらお腹を壊すよ!と言っていたが、この国ではビールを冷やして飲む習慣がないからだ。
ちょっと酔ってきたので、今夜はそのまま寝てしまおうと、その夜は淋しく寝た。


2014年09月09日

中国の旅10

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何気に北京には一週間ほどいた。そして、毎日天安門広場に行っていた。意味はないけど行くところがなかったからだった。外資系アメリカのチェーン店も多いんだなーと思いピザハットに入ってみた。メニューでは、やっぱりアメリカのチェーン店だと思ったが、出てきたピザは厚みのあるパンに不味いチーズが乗っているだけ!またパクリか。大きく「ピザハット」と書いてあり、どう見ても本場の看板なのだが。。。結局、北京には興味あるものがあったが、街としては面白くなかった。西安へ向かう為、駅に向かった。電車にも慣れて、電車を使う事が多かった。東京みたいに複雑に入り組んでいるのではないので、覚えるのは二日もかからなかった。電車の出発まで時間があったので、駅前にあるデパートを覗いてみた。ショーケースは立派だが、中身が粗悪品ばかり。路上で売っている物に毛が生えた感じの物ばかり。店員も売る気がないんだろうか座って、店員同士で話しているだけ。共産主義の欠点、働いても働らなくても給料が同じだから販売サービスも出来ないんだろう。特に北京では、この光景が良く見えた。欲しい人が買えばいい。と言うルールだった。隣の国とは言え、こんなに違うもんなのかな?と考えたが、ここは中国。日本のモラルでは通用しない事を自分に言いきかせるしかなかった。そろそろ時間だ、電車に乗ろう。駅では長距離電車で長旅になる為に移動キオスクみたいな人がたくさんいる。車内から手を伸ばして買う人や乗る前に買う人が多い。自分はカップラーメンを持っていたから、そのまま乗り込んだ。三段ベッドの一番上に寝そべって、リュックを枕にした。服務員が切符の検査にきた。中国語が分からないから、みんなの真似をして、チケットを渡したが質問されてしまった。全く分からないので英語で返したら、服務員が、まっいいや。って感じでチケットを返してくれた。何の事やらさっぱり分からなかったが、あとになって知ったのだが、中国では行ってはいけない町があり、公安から服務員までの人が聞いてくると言う話だった。西安までの途中で外人が訪問出来ない町があったから、その事を聞かれたのかもしれなかった。実際に、そういう町には軍事施設や宇宙開発などがあったりしてスパイ容疑にされると聞いたが、冒険好きな日本人が入りこんで捕まったケースが多いらしい。自分の目的とは全く違うので、そんな町には行かないから特に気にしなかった。電車の硬いベッドを選んだが、一応はクッションが入っているので楽に過ごせた。しかし、都市からの移動だと誰も声を掛けてこない。日本人嫌いなのか分からないが、誰も感心を持たない。後になって、色んな国を旅した時に分かったのだが、中国人は基本的に自己中心的で、日本人よりも冷たい人種と言える。自分にはインド人のしつこいのより、中国の無関心の方がありたがった。電車が出発してから数時間後には寝てしまった。


中国の旅H

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北京に着いてから、毎日天安門広場に行くのが日課になってしまった。北京の中心地なので、動きやすく利便性が良いからだ。色々歩いているとパクリ商品が凄いある。この国には著作権と言うのがないんだろうなと感じさせられる。しかも、明らかに偽物と分かる商品が多い。上海の開けた都市と違って、なんか暗く感じる。どちらかと言うと上海の方が都市って感じる事が多く、北京は大都市であっても何か田舎っぽい所が感じられる。その頃はPM2.5はなかったんだか分からないが、北京の空は青くなかった。
前門って所に行くと、上野みたいな感じの街だが、タクシーの客引きがたくさんいる。しかも、全部ボッタクリ。
これは、上海にいる時に聞いた情報で1人でいると寂しいから、話し相手とからかうつもりで話をしてみた。
中国人は英語の数字も分からないので、中国語を話せない自分には中国の旅行で不便していた。タクシーの運転手との交渉なら、数字を使うので勉強した成果を運転手相手に使ってみた。
1人に話せば、次の運転手が待っている状態になる。交渉失敗した運転手は、次の運転手が客引き出来るみたいだ。タクシーなんて乗る気がないので、数人と話してサヨナラ。俺の中国語の数字も通じるもんだな(笑)と思いながら、その場を後にした。北京も大きい都市だが、基本的につまらない。毎日、どこかで殴り合いの喧嘩をしているので、それが見れるとラッキーなくらいだった。ある程度の観光名所を見たら、次の行く所を探そうと思うようになった。やっぱり、シルクロードでしょ!そして、カザフスタンに抜ける!当初の計画だったので内陸部に入って行くか!目指すは西安^ ^
いよいよ、シルクロードの入口に近づける。上海で長いしてしまった分、ちょっとペースを上げる為にも、電車のチケットを買いに行かないと。と思い西安行きのチケットを購入。今回からは硬いベッドの三段で行く事に決めた。移動でお金を使うのでクラスを上げてしまうと旅が続かなくなる。
いよいよ、シルクロード!なぜか旅してる中で1番興奮していた。西安から西に行くとイスラム圏。その興奮だったのだろうか。早く電車に乗りたくなっていた。


中国の旅G

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北京へ向かう列車は古いタイプであるが、ベッドはふかふかだった。
他に3人乗っているが、日本人が乗っている事には別に何とも思っていないらしく
話掛けても来ない。
窓から見える景色も田舎に入ってしまえば、特に自然が綺麗とも感じない。
一日、ゴロゴロしながら「地球の歩き方」を読んでいる時間が多かった。
北京に着いても、大都市に移るだけだから何とも感じなかった。
北京に着く時間もお昼時間だから、夜に宿を探す訳でもないから気楽であった。
あっと言う間に北京についた。重たいリュックを持って移動するのは面倒だから、
決めていた安宿に向かった。YMCA(ユースホステル)があったのでチェックインしてみた。
場所は北京市の南側。世界にYMCAはあるが、どうやら偽物のホテルだった。
ホテルまで偽物が多いのかーと感心しながら部屋を見せてもらう。
まあまあかな。と思い、シャワーを浴びて、食事をするため近くの食堂に入った。
メニューを見てみると、お!北京ダックが300円程度で食べられる!それとスープを頼んでみた。
出てきた北京ダックは、安くても美味しかった。しかも北京ダックにラーメンどんぶり1杯の
スープ付であり、頼んだスープも同じ大きさ!
頼むときに教えてくれよと思いながら、2種類のスープ(白湯スープ、玉子スープ)を完食した。
意外と美味しいし、500円でこんなに食べれるなら宿から近くて、ここで食べる事が多くなりそうな感じ
だな。と思い、散歩がてら天安門広場に向かった。外の気温は、32℃くらい。
湿度が高いせいか、やたら暑く感じる。東京といるのと変わりはしないが、廃棄ガスやら汚水やらの
臭いが混じっていて、やたら臭い。上海の臭いとは違うが、北京の臭いの方が臭く感じる。
相変わらず、バスのマナーもなっていなく並ばない。交通誘導員も道の真ん中にいて、交通マナーの
悪いのを取り締まっている。
上海よりも田舎に感じてしまう。北京という街は大きいのに田舎の人達の集まりなのか、それとも
こういう生き方でルールがないのか分からなくなってしまう。
街路樹も整備されているが、ゴミがあちこちに捨てられていて、国際都市とは呼べないほど汚い。
天安門広場まで歩いて30分ほど掛かっただろう。結構疲れたが、まだ初日なので、緊張感と新鮮感も
あり、毛沢東の顔とにらめっこしながら、天安門広場の真ん中に座った。


中国の旅F

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上海に長くいたせいか、次の町に行こうと、何気なく地球の歩き方を見ていたら、いきなり内陸部に入るのもなんだし北京でも行くか!と決めて、長距離電車のチケットを求めて南京路を歩いて買いに行きました。割と簡単に買えるもんだな。とチケット発行システムに驚き、町をブラブラして宿に戻った。チケットは明後日の出発で、柔臥の4人のコンパートメントにしてみた。一泊でゆっくりとして、柔らかいベッドで寝てみたかったからだ。
ここでは特に安く抑えようとは思わなかった。上海から北京へ移動する前夜に同じ宿の日本人がお別れの食事に行こうと言ってくれたので、奮発してハードロックカフェに行きました。3人で行ったのですが、1人は日本に帰る人で、もう1人はチベットを目指す人でした。ビールが美味しいのか、飲んでる仲間がいいのか、かなり酔っ払い、生ライブが始まると前列で踊りまくりました!店内はアメリカンですから、なんか中国から解放された気分にもなってました。盛り上がって、そのまま外灘へ行き、ビールを飲み歩きながら対岸に見える、電波塔とまだ工事中の高層ビルを見て、これから中国はバブル景気が始まるんだなー。と思いながら、上海を後にした。


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15年前のアジア放浪記をまとめております。 世界は広いです。一歩踏み出せば、そこは日本では通じない モラルが待っています。
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