2017年03月03日
西南戦争について考える(最終回)
にほんブログ村
延岡で解軍し、1.000名程になった薩摩人達には、ここから大変な苦難が
待ち受けていました。
この頃になると、続々と送り込まれてくる官軍兵で、九州内は一杯という
状況で、主な道筋は通れません。薩摩の兵達は、険しく道すら無い「可愛岳」を越え、
九州山地を縦断するように南下して小林に至り、そこから吉松・蒲生を経て、
9月1日、ようやく故郷鹿児島に到着しました。官軍兵で埋め尽くされた鹿児島市内で
散発的な戦闘をつづけながら9月10日に、「城山」に最期の陣を構えました。
この時には、薩軍の兵は300〜400名になっていました。
城山の陣にこもってからも、西郷は若者達に投降を説得し、最終的には青年時代から
一緒にだった気心のしれた同胞達、40名ほどになりました。
官軍の司令官「山県有朋」は使者を送り、「官軍の総攻撃は9月24日早朝からとする。
前日の23日は一時休戦とし、官軍は一切の攻撃は行わない」と伝えました。
それを受けて、23日に40数名のラストサムライ達は、西郷を囲み最期の酒宴を催し
ました。さぞ昔話に花が咲いたのでしょうね。
24日の早朝、「どら、いきもんそか」西郷の言葉で全員が立ち上がり、おびたたしい
人数が待ち受ける官軍陣地に向かい、最期の行軍を開始しました。
この日、日本国最期の内戦といわれる「西南戦争」は終結しました。(終わり)
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/6009115
この記事へのトラックバック