2022年08月12日
小倉記念といえば思い出す あの名馬ナイスネイチャは本当は強かった!
明後日8月14日は小倉競馬場で、“サマー2000シリーズ”の第3戦小倉記念(GV)が行われます。
3歳以上のオープン、ハンディキャップ競争ですので、1番人気の馬がなかなか勝てない波乱含みの重賞でもあります。小倉記念は歴史もある重賞で、1965年に創設されて、小倉競馬場では最も古い重賞です。また、サマー2000シリーズにもなっていますので、夏競馬を代表する重賞として親しまれています。
そんな、歴史もある小倉記念で、もっとも印象に残った名馬は、ナイスネイチャではないでしょうか。今回は、ナイスネイチャを取り上げたいと思います。
夏の上がり馬
素晴らしい素質という意味で名付けられたナイスネイチャは、1988年に北海道浦河町にある渡辺牧場で生まれた牡馬です。父はナイスダンサー、母はチューリップ賞(当時はオープン)などを勝ったウラカワミユキです。1990年に栗東の松永善晴厩舎に入厩します。
同年12月の京都競馬場でデビューしますが、僅差の2着となりました。そして、2週間後の2戦目で初勝利を飾ります。その後、福寿草特別ではシスタートウショウの6着・若駒オープンでは、ダービー馬トウカイテイオーの3着になります。春のクラシックにも期待が高まりましたが、骨膜炎を発症したため、休養を余儀なくされ、皐月賞やダービーには出走できませんでした。
1991年7月の中京競馬場で復帰し、小倉競馬場の不知火特別・はづき賞と条件戦を連勝しました。
その後の8月25日に行われた小倉記念へ出走します。そして、初出走ながら、ナイスネイチャは圧倒的1番人気に支持されました。この時の小倉記念には、“鉄の女”と言われたイクノディクタスやヌエボトウショウなどが出走しており、この時のナイスネイチャの勢いがわかるかと思います。
レースでは、4番手あたりを追走していたナイスネイチャ。4コーナー辺りになると、有力馬たちが一気に仕掛けると、満を持したかのように、外からかぶせ気味にスパートしました。そして、ただ1頭、格の違いを見せつけるようなものすごい末脚を炸裂させて、後続を突き放して優勝。ヌエボトウショウに2馬身差をつける完勝でした。ここで、ナイスネイチャは一気に夏の上がり馬として、菊花賞の有力候補として躍り出ました。
ブロンズコレクター
小倉記念を快勝したナイスネイチャは、菊花賞トライアル京都新聞杯も勝ちました。菊花賞ではイブキマイカグラに次いで2番人気に支持されましたが、4着に。続く鳴尾記念(当時は12月開催)で完勝し、グランプリ有馬記念に出走します。ここでも2番人気に支持されましたが、ダイユウサク・メジロマックイーンの3着となりました。
翌年1992年の有馬記念ではメジロパーマーの3着となり、1993年の有馬記念ではトウカイテイオーの3着となりました。3年連続有馬記念3着の珍記録を達成してしまいます。そして、ついたニックネームがブロンズコレクター。
その後、7歳(現6歳)になったナイスネイチャは、7月の中京競馬場で行われた高松宮杯(当時は芝2000m)に出走し、2年7か月ぶりの勝利を手にしました。
ナイスネイチャの評価
ナイスネイチャといえば、ジリ脚の印象が大きいですが、小倉記念を完勝した3歳(当時は4歳)の時は、“豪脚”と呼ばれており、ファンを魅了していました。
なかなか勝ちきれないのは、充実期に故障で出走する機会を逸したのがひとつの要因ではないかという見方もあります。
本当にジリ脚で弱かったのかというと、勝利した7戦が完勝でしたし、獲得賞金も6億2358万5600円と当時はトウカイテイオーに次ぐものでした。そして、何より距離適性ではない有馬記念で、相手が違い、ペースも違い、位置取りも違う大舞台で3年連続3着になったのは、並みの力ではできる偉業ではありません。
ファンはそのことを知っていたので、畏敬の念を持って、そして、親しみをこめて、ブロンズコレクターと呼んだのではないかと思います。
今回は、小倉記念が開催されるのにちなみまして、ナイスネイチャという名馬を取り上げました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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