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2021年01月28日

「Sachertorte」

「無意味な言葉が僕の翼になる」より、エッセイ。
2011年02月28日投稿。





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世界は浮かれている。
僕はそっぽを向いて歩き出す。
誰にともなく独りごちて、今は消えてしまった誰かに想いを馳せてみる。
馬鹿みたいだ。
それなのに、僕はそうすることを止められない。

『Sachertorte』











誰かがそれを手に取るときは、それを誰かと共有するときであろう。
この世界を幸せにする行事については一度脇に置かせてもらうことにして、僕は彼女について少し語らせてもらうことにしよう。

彼女はとても美しい人だったという。
確かに肖像の面影は美しく、若き皇帝の心を一目で奪ったというもの頷ける。
では、何が美しかったのか。
僕は時々考える。
美しさ。それは何か。
頭蓋から首に流れ四肢を守るその頭髪か。
はたまた骨格から強制されたその曲線か。
はしばみと謳われたその双眸、それを湛えた表情の全てか。
牛の乳で磨かれた艶肌に纏うは絹のドレス。
そんなものにあの若き皇帝は惹かれたというのか。
確かに、彼女の外見の纏う美しさは本物である。しかしあの肖像の中の彼女は本当にそれだけの人間だったか。
いや、違う。
彼女は強い。強くて弱い。
世界に強くて、自身に弱い。
自分の中に芯があるのに、突然ぽきりと折れてしまいそうで。いや、芯がしっかりそこに存在しているから、折れるときはあんなにあっさりとしているのか。
だから、あんな悲しい笑みで肖像の中に閉じ込められているのか。

僕は街を歩く。
世界は浮かれていて、だけれど僕は独りぼっちだ。
誰かに想いを伝えたくて、それでも自分とは関係のない行事に、なかなか乗りかかることができない。
昨今ではそれは女から男への愛の行事というだけの意味合いを失った。女から女へ友の証を示すため、はたまた男が女へ想いを伝えるため、甘いそれに想いを託して贈り合う。
僕はそれを羨ましげに見つめながら、ふと、或る店の前で足を止める。
Re110213_003.JPG
それは小さなザッハトルテ。
可愛らしく彩られて、ちょこんとそこにある姿は、何とも言えず、僕の心を激しく揺さぶった。
それはオーストリアの様々をモチーフにしたものらしく、どれも愛らしい。
その中で目を引かれたのは、もちろん、エリザベトだ。
そしてマリア。
僕は決して歴史に詳しいほうではないけれど、美しく、そして強い女性はやはり惹かれるものがある。
何よりそれは、僕が大切に想う人が愛した記憶の一部だったから。
僕は決めた。割と即決した。
よし、買おう。
しかし、決めたはいいが、僕のような人間がそんな可愛らしいものを買うなんて、逆転もいいところで。そして切実に常に金銭的に危機的状況を維持している僕が、果たしてそれを手に入れていいものなのか。
僕は悩んだ。
ぐるぐる何度も店内を回りながら、悩んだ。
しかしやはり、最後にはそこに辿り着く。
ごくり。
僕は意を決して、それを買うことに決めた。
だってそれは、彼女が食すべき存在だと、心のどこかで決め付けてしまっていたから。

結局僕たちがそれを食することになったのは一週間も後のことだった。
ココアを入れて、カフェブレイク。
僕は取り出す、小さな箱。
そしてそれを一つ一つ皿に並べながら、解説をしていく。
全てカードの受け売りだけど。
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まず左から、ドナウ、バル、The kiss。
下に移って、マリア、エリザベト、ヤウゼ。
彼女と食すわけだから全てを語ることはできないが、自分の味覚を信じるのであれば、それはとても甘く、そして苦い、恋愛と同じ味わいを持っていた。
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まず、ドナウ。言わずもがな、これは欧州を流れるあの壮大な川の流れをイメージしたものらしい。
本物のドナウ川を僕は見たことはないけれど、川の持つ深みのようなものが伝わってきて、何とも言えない気持ちになる。
オーストリアではないが、ドナウ川というと仔牛を乗せた荷馬車を思い起こさせるからだろうか。
彼女の話によると、チョコのスポンジと抹茶の層を包み込んだ上品な味わいの一品だったようだ。
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つぎはバル。オーストリアで催される大々的な舞踏会をイメージして作られたらしい。
ボタンがとても愛らしいが、ボタンと舞踏会が結びつかない僕は、よほど無粋な人間のようだ。
こちらは濃厚なチョコのスポンジにこれまた濃厚なキャラメルが何とも言えないハーモニーを生み出していた。さすがはオーストリア、音楽の都。
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次はThe kiss。これはクリムトの接吻をイメージして作られた一品らしい。
残念ながら芸術への造詣が全くといっていいほど存在しない僕にはクリムトの作品を理解することはできないのだが、どうやら彼女はクリムトが好きらしい。
知らない情報を得たことに嬉しさを感じつつ、彼女の知らない側面を寂しく感じる。
そしてそんなThe kissは、彼女の口ではなく、僕の口に運ばれることになる。
彼女は柑橘系のピールが苦手らしい。
こんなに美味しいのに!
僕は絶句しながらそれを口に運んだ。ピールの甘味とほどよい伊予柑の酸味がチョコと交じり合って。
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次はヤウゼ。ヤウゼとは午後のコーヒータイムのことらしい。
テーブルクロスを敷き詰めて、可愛いものだけを並べたコーヒータイム。
彼女が取っ手を持って珈琲カップを愛でると同じようにまじまじそれを眺める様は、たとえ僕以外の人間が見ても、惹かれるものがあっただろう。それを思うと少し悔しく感じるのだけれど。
チョコの濃厚さに加えて珈琲豆の苦味が合わさって、大人な味わいだったのではないだろうか。
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そして次はマリア。かの女帝、マリア=テレジアのドレスのフリルをイメージして作られたものらしい。
マリア=テレジア。僕は彼女に対してひたすら強い女性という印象しか持ち合わせていないのだが、女帝として国を引いていくそれ以前に一人の女性であって、その一人の女性として着飾ることがあって。
そう考えると、可憐な印象であしらわれたマリアにも合点がいく。
彼女はフリルをはためかせ踊るのだろう。ただ一人、愛する人を想って。
いつの時代も女性は愛情に溢れている。
考えてみれば、家族への愛情がなければ彼女が国を守るために奔走することもなかったのだろうから、女性の愛情というものは、本当、尊敬に値する。
彼女がフリルをかじる度に見せていた綻んだ表情も、その愛情を無意識に感じていたからなのだろうか。
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そして最後はこのお方。エリザベト。言わずもがな、僕が惹かれたエリザベート皇后をイメージして作られたものである。
皇后に関しては先に述べた通りの印象が僕の中にあるわけだが、このザッハトルテもやはり、ひたすらに美しい人をイメージして作られたのだろう。
と、口にするまでは、思っていた。
いや、それは当たっているのだろう。
もともとチョコのスポンジ自体が濃厚なこともあって、ザッハトルテ自体がビターな味わいを持っている。それに中に重なったものと糖衣の味わいが甘味を生み出すわけであるが。
美しい人は、総じて人を甘い気持ちにさせるものである。
しかし、これはそれだけではなかった。
中に含まれるラズベリーの甘酸っぱさ。これは彼女人生そのもののような気がしてならない。甘さを持ち合わせていながら、自由に生きられないことに胸が潰されそうになって。
彼女は皇后という身分にしては奔放な人であったが、しかし一人の人間として捉えたとき、本当の意味で奔放ではいられなかったのだろう。
それを思うと胸が痛む。

と、長々書いてきたが、つまりは何が言いたいのかというと。
同じ味わいを共有しながら大切な人とともに過ごすということ。
それが何物にも変えがたい幸せだということ。
彼女はやがて僕から離れていくだろう。彼女自身の愛する人の元に行ってしまうだろう。
それはとても寂しいことだけれど、僕は記憶を失わない。
彼女とこのザッハトルテと幸せな時間を共有したことは、残念ながら、生涯消えてはくれないだろう。
例え彼女が今後、僕以外の人とその時間を共有するために生きたとしても。






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