2017年06月06日投稿。
「no-title」
きらきら輝いて
眩しくて
大好きだった世界には
僕は
不釣り合いで
背伸びしながらそこに居座ってみたけど
一回転んだら
何度立ち上がってもまた転んで
そこに居たいのに
そんなきらきらした世界に
僕は
きっと必要なんてなくて
ねぇ、
誰か歪な心臓を、握り潰してくれないかい?
「no-title」
正解以外は
不正解な世界
そんな世界を作っていたのは
自分自身だったのに
あぁ、
自分の作った世界で
不正解ばかりに押し潰されそうだ
そのまま潰れて消えてしまえればいいのに、ねぇ、
「no-title」
ごみ箱にぽいっ、
大好きだった誰かにとって要らない僕なら
ぽいっと棄ててしまえばいい
だからぽいっ、と、
僕は僕を棄ててしまいたいんだけど
どうしてだろう
君の笑顔が離れなくて
僕は僕を
棄ててしまえないままだ
「no-title」
好きだとか言う曖昧な言葉じゃ伝わらないなら
僕の心臓を君にあげるから
君はずっと
生き続けてほしいんだ
僕が消えた後に残るのは
きっと
とても綺麗な世界だけだよ
昔から、この、こんなに美しすぎる世界の中に、どうして自分なんかが存在しているのか、ほとほと疑問だったんですけど。
どうやら世界には、正解と不正解だけじゃなくて、正解ではないけど不正解とも言い切れない答えと言うのが存在していて、その、曖昧な部分に、人というものは、生かされているんだなぁ、と、最近やっと何となく、そう思えるようになってきました。
正解と不正解。
必要と不必要。
成功と失敗。
この真ん中になんとなく存在する曖昧な空間。
少し前までは、この真ん中なんてなくて、正解でなければ全て不正解で、世の中には要るものと要らないものという分類しかなくて、成功したと思えないことは全て失敗だと思っていて。
不正解の中に混じる正解に近い部分や、逆に、正解のように思えてちょっと違う部分や、そういうものがあるらしいということを、頑張って理解しようとしているところです。
足引きずってても花が咲いてたら嬉しくなるし、太陽の光も月の光も星の瞬きも綺麗だし、建物の間を吹く風は心地好くて、そんなきらきらした世界に、足引きずってる自分は、不必要な気がしてくるんです。
要る要らないで、物事はかれないのに、足を引きずっていると、両極端にしか物事を見られないようになってしまう。
そんな気がします。
「no-title」
生きてていい理由が世界に見当たらなくても
生きてしまっている限りは
もう少しだけ
生きててもいい気がするんだ
だから、
生き続けて、ごめんね
どうして自分以外の人には、どこか幸せに生きていてほしいなんて思ってしまうのに、自分は、生きていいのかどうかも分からないまま、生き続けてしまうんだろうね。
って、いつも、自分に思うけど、これはもう答えなんてないんだと思います。
生き続けてしまう理由は死ぬのは怖いしやり残したことたくさんあるし死にたくないからなんですけど。
たぶん、他人の幸せに食い込みたいんだと思います。自分が何かしたことが、誰かが一瞬でも楽しむきっかけになればいいって。
でもなんかそれって、本当にそれが上手くいってるか実感がないと、あぁ自分って、居なくてもいいんだろうなぁ、って、思うわけです。
僕は寂しがりで独りじゃ生きていけない気がするけど、だからと言って、例えば好きな人にとって僕って必要なのかと問い掛けると、答えが分かんなくなるんです。
今までは、答えが分かんないから、じゃあ必要ないんだろうと、思ってしまってたんですけど。
今もまだ、眩しい世界に自分なんて要らないような気がしてならないんですけど。
でもまぁ、ゆっくり、自分も世界に居てもいいかなって、思えるようになりたいです。
上手く言えないですけど。
でした。
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